【NPO法人シェルパ古市貴之 連載コラム 楢葉町でぽくりぽくり】たかがガラスか

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バヂッ。質量のある物質を受け止めた鈍い音。送迎中の車内で子ども達が驚く。国道6号線を走行中に飛び石で車のフロントガラスが割れた。この1年でなんと3回目。そのうちの1回は貫通し運転席にガラス片がころがった。割れなくてもバチーンと車体が石をはじいたのは数えきれない。対向車線側の窓を開けていたなら車内に石が飛び込んでくる可能性もあっただろう。直撃なら大惨事だ。しかし驚くほど冷静に子ども達に話かける自分がいた。「大丈夫。大丈夫。フロントガラスくらい直せばいいよ」。

しかし、時間が経つにつれてその頻度に不安になった。夏1回に冬2回。大型ダンプとすれ違った時が2回、軽自動車の時が1回。冬タイヤの影響もあるだろうが、やはりこの多さは異常ではないか。交通量の多さは震災前の比ではない。まったく原因がないとは言えないだろう。しかし飛び石の被害の場合、対向車が原因と立証することが難しく結局は泣き寝入りで車両保険か自費で直すしかないのだと言う。ひょっとしたら自分も加害者になっていた場合もあるかもしれない。1週間後、車は何事もなかったように修理されて帰ってくる。私は出費に失望しながらも半ば諦めの気持ちで飛び石被害のことを忘れようとする。「しょうがなかったんだ…」。飛び石被害などなかったことにされるのだ。

2017年10月に公表された福島県民調査報告書によると、福島県の小児甲状腺がん及び疑いの子供たちはその4か月前の報告から3人増えて合計193人となった。今現在、福島県で小児甲状腺がんが多く見つかっているのは、福島県の子供たち全員を対象にした検査をしたことによる潜在的な甲状腺がん患者が多く見つかったからで、震災後増えているわけではない、つまり「放射能の影響とは考えにくい」と言う驚くべき見解が示されている。小児甲状腺がんの原因の1つである放射性ヨウ素を吸い込まなかった子供たちを検査しても甲状腺がんの子供たちはいなかったという調査結果が存在するにも関わらずだ。統計や科学的な根拠は大事だ。でも様々な調査を進めるのはひとりの人間であるし、この福島の現状に向き合う時、ひょっとしたら(しょうがない)が少しでもそこに存在したのであれば、その人間的で非科学的な要素がつくりだしたことに対してもっと謙虚になるべきだと思う。少なくとも「影響はない」「問題ない」と断定してしまうことなど出来ないだろう。私たちは悟りを開いた聖人ではないから、不条理と思うことや解明できないことに対して向き合うことを放棄することが多い。「しょうがないことだから、ご自身で選んだことだから自己責任でお願いします」。それで済まされてしまう社会であって欲しくない。

やはり声を発していかなければならないと思う。傍観者であってはならないと思う。福祉制度の歴史も本人や家族と言った当事者が声をあげることで地域や制度が成熟していった。1人ひとりに出来ることは限られている。今私が出来ることは、決して交通事故を起こさないように細心の注意を払うこと、対向車線側の窓ガラスは開けないことしか出来ないかもしれないが、せめて自分もこの地域の当事者なのだと自覚して生きていきたい。麻痺…風化…諦念…それに対抗するために意識して全国の皆さんと考えを交わそう。大きすぎて漠然とした課題より生活に直結する身近な課題の方がわかりやすい。そしてその2つの考え方が似ていたりする。フロントガラス3枚、しめて20万円。人間の尊厳や命の重さとは比較できないけれども、飛び石被害と健康被害、私は同じ構図だと感じた。なかったことにはしたくない。