利用者から店長へ。障害者が、障害者の働く場所をつくる――「フクシアンテナショップ るぴあ」店長、加藤和也さん(前編)

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東急東横線・元住吉駅。駅を降りるとすぐに「モトスミ・ブレーメン商店街」がはじまる。数多くの店が並び、平日昼でも活気のある商店街の通りを歩くことおよそ5分の場所にある「フクシアンテナショップ・るぴあ」は、全国の障害者施設がつくる「いいもの」を集めたアンテナショップだ。NPO法人「レジスト」が運営する就労継続支援B型事業所であり、障害者の働く場所にもなっている。「るぴあ」店長の加藤和也さんは、もともとはこの「レジスト」の利用者だった。利用者から店長へ。加藤さんの奮闘ぶりを紹介しよう。

プログラマーの夢が、捨てられなかった

加藤さんが「るぴあ」の店長に就任したのは、およそ1年半前、2015年のこと。加藤さんの前職はプログラマー。金融系のシステム構築に携わっていた。短大を出てすぐに就職、20歳の頃には、バリバリのプログラマーとして働いていた。「終電で帰れればいいほうで、会社に泊まるとかはザラでした」。加藤さんにとって無理な生活を続けているうちに、心身の調子を崩してしまい、2年間働いたころに、とうとう入院してしまう。当時の加藤さんは、焦り、あるいは不安があったのか、社会復帰を急ぐあまり、なかなか治療が進まなかったという。「治療が続かないんです。病院をすぐぬけ出しちゃったりして」。「子どもが好きだから」と、保育園でのアルバイトをはじめてみたりもした。1年くらい勤めたが、ある出来事があって、やめることにしたという。「園児から『目が怖い』って言われたんです。ああ、自分ではできていたつもりだったけど、子どもは自分の不安定な部分を、しっかり見抜いていたんだな、って思いました」。その後再びIT企業に入社したが、わずか3か月で体調を崩し、病気が再発してしまう。「その会社には僕の体調のことは話していたんですけど、やはり無理でした。今にして思えば、なぜまたプログラマーをやろうと思ったのか…。もともと『Google』みたいな先進的なIT企業で働きたかったんです。その夢が捨てきれなかったのかもしれません」。

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当事者だから、みんなの気持ちがわかる

再発のあとに通っていた「地域活動支援センター」(障害者の就労や地域における活動を支援する施設)から紹介されたのが、NPO法人「レジスト」が運営する「レジネス」だった。「るぴあ」の姉妹店だ。「見学に訪れた最初から、なにかピンとくるものがありました。ここでならやっていけそうだ、と思いました」。

レジネスの施設長・斉藤さんは、加藤さんが面接に来たときから、なにかやってもらえるんじゃないか、と感じていたという。「受け答えがしっかりしているのはもちろんですが、なにより、自分の気持ちを言葉にすることがうまい。ダメなときはダメ、とキチンと言ってくれたほうがコミュニケーションが取りやすいし、うまくいくんです」。精神を病んでしまう人の中には、そうやって自分の気持ちや状況を他者に説明することが苦手な人が多く、それが結局自分を苦しめてしまうことにつながるという。加藤さんも「僕も以前は『うそつき』で、ダメなときでも『大丈夫です』って言ったり、よくわからなくても『わかりました』って言ってました」。

「レジネス」で、コーヒー豆の選別や焙煎の仕事をしていた加藤さんだったが、3~4か月たった頃、姉妹店の「るぴあ」の店長にならないか、という話が来た。「はじめはアルバイトを探そうか、という話だったんですが、それなら、と加藤さんに声をかけたんです」と斉藤さん。当事者として一緒に働く利用者の気持ちがわかる加藤さんに、「るぴあ」を託すことになった。