【コトノネ編集長のおまけ日記】人に使われる才能、使う才能

コトノネ編集長のおまけ日記

親しい人と食事していたら、うちの会社のスタッフの話になった。「いや、よくできる人やね」と誉められた。ありがたい。素直に礼を言った。「里見さんは育て上手や」と、私まで誉められた。今度は、照れなければいけないところだが、これは大きな誤解だ。親しい人だけに正さなければ。「いや、ぼくは、残念ながら、いままでただの1人も育てたことはない」と、正直に答えた。その人は、タクシーに乗っていて急ブレーキを踏まれたような表情になった。でも、気持ちを立てなおし、「いや、その人も言っていたよ。里見さんに鍛えられていますと」。仕方ない。わたしも引けなくなった。いかに人を育てることができない人間か、エビデンスで証明するしかない。

大阪で大変お世話になった先輩がいる。ベンチャー企業で副社長を長い間務められ、70歳を少し越えて、最近、現役を降りられた。大阪人だが、きれいな標準語、穏やかな話。素敵な女性だ。引退される前に会社をお訪ねした。その時、話の流れとは関係なく、「里見さんは、ほんまに人を使われるのが下手やったね」と言った。ギョッギョ。「人に使われるのがうまくても、使うのがうまいとは限らない。わたしは、それ。でもね、人に使われるのが下手な人は、使うのも下手なんや。それで、よう会社やれてきたね」。そこは、えらい、とその人は笑った。悔しいけれど、思い当たる。出生の秘密を明かされた気分になった。

家に帰って、夕食のときうっかり、その話を旅の土産代わりに嫁はんにしてしまった。嫁はんも、その方を知っている。「なんで、そんなこと言うてんやろね」と嫁はんは言った。嫁はんが否定してくれた。さすが、嫁はんや、いちばんわたしを分かっている、と意気込んで、「そやろ、ちょっと言いすぎやろ」と言った。しかし、嫁はんの答えは違っていた。「いや、なんで、いまさら言うてんやろと思っただけ。あんたが、まだ気ついてなかったんにも、びっくりしたわ」。

やっぱり、嫁はんだけには言わなきゃよかった。