【連載コラム ただいま暗中模索中!ぷらぷら作業療法士の鈴木洋介】「患者という言葉」

今日から作業療法士の鈴木洋介さんの連載が、はじまります。「作業療法士」って、どんな仕事なの。具体的に何をするの。鈴木さんに日々をつづってもらうことで、いまいちよくわからないという声も聞く「作業療法士」という仕事をのぞき見させてもらいます。(更新は月1回の予定です)。
*以前コトノネWebで鈴木さんを取材した記事はこちらから

ぷらぷら日記-01

はじめに

コトノネファンの皆さま、こんにちは。ただいま暗中模索中!ぷらぷら作業療法士の鈴木洋介と申します。昔から色々なことに目移り。飽きっぽい、地に足をつけなさいと言われること多数。一方、デンマーク留学中に、あなたは色々なことに興味があって視野を広く持とうとすることが強みと言われたことを励みに、自信を持って「ぷらぷら」としています(笑)。救いなのは(?!)自分の仕事が大好きなこと。作業療法という仕事には今も飽きることなく魅力を感じ続けています。

コトノネ編集部皆さんの優しさに甘えて、ここでは、そんなわたしのはたらく現場にまつわることを書き綴っていこうと思います。どうぞよろしくお願い致します。

さて、今回のテーマは、「患者という言葉」。
皆さんの仕事場では、顧客のことを何と呼んでいますか?「お客様」、「ご利用者様」、「クライエント」、「カスタマー」等々でしょうか?仕事に応じて色々とあると思います。わたしがかつて働いていたリハビリテーション病院では、「患者様」でした。

患者…、病気を患う者…。私は、学生の頃から、この「患者」という言葉に違和感がありました。それは、作業療法士が焦点を当てるのは、病気や、障害(身体・精神・知的障害)自体ではなく、人生背景や心の葛藤を持った”人”だからです。病気や障害は、人生を大きく変える出来事ですが、個性を持った一人の人間であることの意味が失われる訳ではありません。

「言葉」は、現象を定義づけたり、意味づけたりして、端的に表現することができます。しかし、「患者」という言葉には、病気や障害を強調することで、そもそも複雑であるはずの人間の存在を単純化し、理解しようとする努力を失わせる危険性があるように感じます。そして、当事者自身もまた、自分は患者であると思い込み、個性を持った個人であるという認識を失ってしまう危険性があるように思います。

実際、病院で働いていた時、父として、課長として、釣りが大好きな趣味人として、といった役割を失い、患者として、「何もできない。生きている意味がない。」と自分を見失い、生きる意欲を失ってしまう利用者に多く出会いました。そういう時期だからこそ、作業療法士は、患者として関わるというよりは、様々な背景を持った一人の存在に病気や障害によって何が引き起こされたか?という姿勢で関わる必要があると思います。だからこそ、私はサービスを利用する利用者という言い方の方がしっくりきます。

患者という言葉に限らず、「障害者」「黒人」「LGBT」等、言葉を投げかけられる当事者がその言葉をどのように感じるのか、想像しながら配慮しながら使いたいものです。同じ言葉であっても、発している側の言葉の意味と、受け取る側、そして当事者自身が受け取るそれとは決して同じである訳ではないと思います。

さて、そんなことを考えていたら、訪問リハの現場で印象に残っているAさんを思い出しました。

「本当は…、でも…」を、受け止める

Aさんは90代後半の一人暮らしの女性、口は達者であるものの、いわゆる寝たきりの方。何回か行った頃、テレビを見て過ごすことが多いAさんがこれまでどのようなことに興味を持ち、なぜそれを行っていたのかという作業療法アセスメント(※)を行って見ると、「本当はまた編み物がしたい。」「本当はまた料理がしたい。」「でも、もう歳だから無理よね…」という言葉が聞かれました。

利用者と話をしていると、この「本当は…でも…」という、期待と不安、希望と絶望みたいなものを感じさせる場面に数多く出会います。作業療法士としては、「でも…」の部分の自信のない思いを受け止めながら、当たり前に行えていたかつての日常の作業を利用者と共にあぶりだしていきます。

Aさんにとって編み物は、プレゼント相手の家族や地域の馴染みの友人たちの喜ぶ姿をこころに描きながら作成するものであり、そうする存在であることがAさんの社会的な立ち位置として大事であった様子でした。料理においても、かつて、家族に作り、地域の人におすそ分けすることが大事な要素であったと言えました。

しかし、病気、加齢に加え、時間の経過と共に、友人や家族が亡くなり、担っていた役割にも変化が生じていく中で、少しずつ大事な作業としてあった編み物や料理という時間が失われていきます。寝たきりとなり、テレビを見て過ごす時間が増えても、心の中にある、「本当は…」の思いは残っていました。私たち、作業療法士は、この「本当は…」の思いに近づける方法をあらゆる手段を用いて考えていく使命があります。

そこで、大事なことは、実際に体験すること、そして、一緒に行い、できる限り成功体験を積み重ね、それを利用者と共有すること、そして次へのステップを明確にしていくこと、これを続けていくことです。

心の中は、汗だく

当初、Aさんの希望する鍵編みを実践してみたところ、昔のように上手くできず、Aさんが一つ一つ編み上げていくところから失敗を繰り返し自信喪失していく場面に出会ってしまいました。編み物は、何回も何回も同じ工程の繰り返しですが、その繰り返しを間違わずに行い続けないと目に見えた完成に至らない側面があります。

「ひゃー!!やばいやばい(汗)」

寝たきりを助長してしまったらどうしよう!と心の中は汗だくです…。

そこで軌道修正。食べることが大好きなAさんの特性を思い出し、最初の新たなステップとして、フルーチェ作りを行いました。余裕で完成し、「うまいうまい。」と笑顔のAさん。次のステップは、一気にレベルをあげ、リンゴを一口サイズに切ってもらいました。「包丁を持つなんて何年ぶりだろうねえ〜。」と微笑むAさん、「それっ!」と挑戦心あふれる表情でリンゴを切ってもぐもぐ一緒に頂きました。あまりに素敵な表情だったので、写真をとってAさんのお部屋に飾りました。

この様子をAさんから聞いていた訪問介護職のBさん。Bさんは、Aさんとはもう10年以上の仲です。笑顔で料理をする写真の姿は、ベッドでただテレビを見ているだけのこれまでのAさんの姿と大きく異なりました。

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「これから嫁に、いくんだよ!(笑)」

「サンドウィッチを作ろう!」

Bさんの提案にAさんも賛成!
サンドウィッチは、工程が容易で、安全で短時間で完成し、味のバリエーションが豊富な側面があります。Aさんの昼食に、という建前であるとはいえ、Aさんにとって、料理を実際に行うことだけではなく、かつてのように、作ったものを私やBさん等の訪問従事者が喜んで食べてくれることがとても大事な要素としてありました。そこで、作った一部を試食、美味しく頂く私たちの笑顔をじーっと見ているAさん。こんな時間を共に過ごしていく中で、私の訪問日以外であっても、次は何のサンドウィッチを作ろうか、どんな材料を買ってこようか、Bさんと話し合うようになっていきます。ある日、ニコニコでサンドウィッチを作るAさんに、「本当に若返りましたね!」と伝えると、「これから嫁にいくんだよ!(笑)」と冗談で返されました!もうすぐ100歳とは感じられないパワーです。

そんな訪問作業療法を続けていたある冬の日。
突如、訃報が入ってきました。
2日前はいつもと変わらずにサンドウィッチ作りをして「お嫁に行くんだよ!」といつものようにニコニコと冗談を言っていたAさん。

訪問看護・リハの現場では珍しいことではありません。しかし、やはり、それは寂しいことです。
Aさん、私と出会えて少しは良かったと思っていてくれているだろうか…。天国でもあの豪快な笑顔を見せているのだろうか…。

青空の下、利用者のお宅へ向かうべく自転車を漕ぎながら想うのでした。

※作業療法アセスメント
個人と深く結びついている日々の営みが何か?昔はどうだったか?といった背景情報を収集し、過去と現在の落差の要因や、大切度合いや、優先順位の高いものを、利用者と共に探り出し、効果的な介入計画を立てていくための最初のステップ。