「利用者」も「支援者」もなく働ける「理想郷」めざして――「なのはな村」(後編)

写真

一組の夫婦がつくった小さな「理想郷」は、やがて地域に根づき、障害者が働き暮らす場として成長した。それは「家族」が、「組織」に変化した過程でもある。そして今また、その「組織」は、次のステップを探しつつある。宮崎県都城市で有機無農薬の農業を中心に事業展開する社会福祉法人なのはな村を訪ねた。

六次化を通じて事業を拡大した

まず藤崎さんが目をつけたのが、加工部門だ。設立当初からやっていた加工を、本格的に事業として育てた。もともと付き合いのあった、かごしま有機生産者組合を通じて、高菜漬けやらっきょう漬けなど加工した農園の野菜を販売してもらうと同時に、組合員の野菜の加工を請け負うことにした。「組合員から、余ったしょうがやごぼうを送ってもらって、どんどん加工して、戻す。これが、利益が大きく、伸びている事業ですね」。真空パックの機械も導入し、しっかりと流通にのせることのできる商品をつくれる体制が出来上がった。地元のスーパーや百貨店などとつながって、つくった商品を置いてもらえるように働きかけた。

さらに都城市内に2軒の飲食店をつくった。「なのはな食堂」は、都城市街の公共施設「都城市総合文化ホールMJ」内にある。もともと高級フレンチの店だったのを、居抜きで借り受けた。「開館時からレストランがあったのですが、全く客が入らずに閉店。その後しばらく開いていたのを、説得して借り受けました」。イベント開催時以外はほとんど人がいないホール。運営は苦しいですよというホール側に、藤崎さんは「ホールの外から人を呼ぶから、任せてください」とタンカを切ったそうだ。「いやー、ハッタリですよ」と笑う藤崎さんだが、なのはな食堂には、実際にホールのお客さんとは思えないような客層が増えているのだという。「孫たちを連れたおじいちゃんおばあちゃんや、お母さんとお子さんなど、家族連れのお客様が多くいらっしゃいます」。有機無農薬の野菜を中心にしたヘルシーメニューを、バイキング形式で、680円というリーズナブルな価格設定で食べられることが、人気の秘密だろう。

もう一店舗「畑のテーブルSai菜」は、法人本部のある建物の1階部分を使って営業している。こちらは、メイン料理を1品選び、おかずはバイキングで、という形式で、価格帯は1000円~1300円と、なのはな食堂よりも少し高めの設定だ。市内だが、少し奥まったところにあるため、リピーター需要を狙う。農業部門、飲食部門ともに、工賃も伸びているという。

A型か、農業生産法人か

15年前、「自分たちがいなくなっても続く」組織づくりをと、生産から加工・販売まで、いわゆる「六次化」の仕組みをつくり上げた、なのはな村。今、次の転機を迎えようとしている。「A型にするのか、それとも農業生産法人か、1年かけてみんなで考えている最中です」(藤崎さん)。

農業も飲食も、事業が高度化してきた。たとえば農業では、アイガモ農法を使って、より多くの米をつくりたいし、新しい加工品の開発も進めたい。飲食は、メニューやレシピを開発し、お客様に満足してもらえる高いレベルのサービスを安定して提供しつづけることが大切だ。なのはな村では、障害者支援をするのではなく、農業を担当したり、レストランの運営を担当する人が働いている。「福祉の枠組みでは、彼ら事業に携わる人の人件費は出ない。組織の底上げをすることで、どちらの役割の人にもきちっとしたお金を払いたい」。

ステップアップするのなら、社会福祉法人としては、A型をつくることが自然な流れ、ということになるが、なのはな村は農業をベースとした共同体でもある。農業生産法人ならば、農業に特化した事業を進めるのに有利だ。「レストランも軌道に乗ってきました。鶏卵の仕事を彼ら(障害者)だけで運営できるようにすること、米の生産量を上げて、精米までできるようになることで、最低賃金は支払えるんじゃないかな、と思っています」。

支援者・利用者の壁を取り払って働きたい

収益や運営についてなど試算をしながら、検討を重ね、法人内の意見を集約して、どちらの道を進むのかを選択することになる。「農業生産法人をはじめるということは、別会社を立ち上げるようなもの。今まで社会福祉法人で働いていた職員にしてみれば、転職するようなものかもしれませんね」。

どちらに進むにしても、なのはな村にとっては大きな決断となる。しかし、藤崎さんの思いは、農業生産法人に傾いている。その理由は、藤崎さんがなのはな村をはじめた原点と、大きく関わっている。

「福祉の枠組みでやると、どうしても支援者であるわたし・藤崎と、利用者である障害のある人、という関係がつきまとう。たとえ毎月20万円を払おうと何しようと、『利用者』であることは変わらない。私は、そういう壁がない世界をつくりたいと思ってなのはな村をはじめたんです。農業法人ならば、社長など役職の違いはあるかもしれないけれど、働く人、という意味では同じ。わたしは、そういう世界を作りたいんです」。

なのはな村の農場で見たのは、藤崎さんがつくり上げたなのはな村の原型。誰もが、いつまでも、同じ立場で働くことのできる場所を。その思いはそのままに、なのはな村は変わろうとしている。

写真

※「なのはな村」の記事は、2015年8月発売の『コトノネ』15号に掲載されています。

写真:岸本剛