「はたらきたい」。その声に寄り添う ―筒井啓介さん(前編)

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ナチュラルカフェ+ショップhanahacoは、木更津駅から車で20分ほど、のどかな緑が広がる風景の中にある。開店時間の午前11時前から駐車場に何台も入ってきた。30分経つと店は満席。家族連れ、軽トラで乗り付けた若いカップル、近所に住んでいるおじちゃん、おばあちゃん…。いろんな人が、少しおしゃれしてやってくる。

中庭を中心にぐるりと一周できる店内は、光が入って、気持ちがいい。テラス席から見えるのは一面の田んぼ。見慣れた風景も、贅沢な景色に思えてくる。料理は地元・木更津でとれた野菜を中心にしたからだに優しいメニュー。自分たちの畑でとれた野菜も提供している。このお店を運営している特定非営利活動法人コミュニティワークスの代表が、筒井啓介さんだ。

学生社長が、「町おこし」

「木更津に行って会社をつくらないか」。
2000年5月のこと、当時筒井啓介さんは、法政大学人間環境学部の2年生。「ボランティア論」の講義担当の講師から誘われた。

先生は、地域活性化の実践的研究者として知られていた。バブル崩壊後、市街地の空洞化に悩む千葉県木更津市から、相談を持ち掛けられた。先生はそれを受けたが、とてもかかりっきりになれない。代わって、毎日木更津に出向いて起業をしろ、と言う。企業経営なんか考えたこともない。木更津が、日本のどこにあるかも知らなかったのに、筒井さんは「じゃあ、行きます」と即答した。大胆ですね、と言うと、「いや、遊び感覚で。卒業するまで、いいじゃないか、と」。でも、遊びにしてはハード過ぎる。自宅の横浜から木更津へ出て、夕方、都内の市ケ谷のキャンパスへ。移動だけでも大変だ。

ミッションは明確だった。木更津駅前にそごう百貨店が出店するビルがあった。そのそごうが、上層階を明け渡すという。町おこしの目玉の縮小は、木更津にとっては大事件。フロアを活用しなければいけない。空いたフロアに、さまざまなお店を呼び込んで起業を促す。そのノウハウを蓄積して、すでにシャッター街になった商店街にもにぎわいを取り戻す。筒井さんの役割は、そのためのNPO支援や起業支援、それらの総合的な事務局だった。行政の支援の受け皿として、組織がいる。同年7月に有限会社ネットビジネスが誕生。資本金300万円。代表取締役は筒井さん。華々しい門出になるはずだった。

7月13日にテレビでニュースが流れた。「木更津そごう、自己破産申請」。同時に完全撤退が決まった。もう、大混乱。でも、だからこそやるしかない、となって、市は「木更津市市民活動支援事業」を大々的に打ち出す。記者会見には地方紙だけでなく、ほとんどの新聞テレビがそろった。そごう撤退が、ニュースバリューを高めた形となった。
学生社長の筒井さんは、その難局の救世主。「駅前の立地を生かして、インターネットカフェをやりました。30分100円とかって激安で」。パソコン教室も当たった。NHKの『にんげんドキュメント』に登場し、地方活性化の旗手のように注目されて講演にも招かれた。「でも実態は、ビジネスよりもその講師料で生き延びたようなものでしたけど」(筒井さん)。

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起業支援から、自ら起業しての「障害者の仕事づくり」に

一躍注目を浴びた学生社長は、数多くの起業支援もサポートした。しかし「起業支援をする人間が、企業経営の経験がない。お笑いですよね」と、筒井さんは当時の自分を振り返る。「採算にのるビジネス」については誰よりも考えていたと自負してきたが、自分がアドバイスをするだけの存在であることに、限界を感じはじめた。 
                            
そんなとき、筒井さんは、木更津で活動し出したときから、何くれとなく世話をしてくれる人から相談を持ちかけられた。「知的障害のある息子がいる。なんでもいいから、使ってくれないか」。お金をくれとは言わない、とまで言われたら、「断れるわけないじゃないですか(笑)」。

掃除や、チラシ折りなどを手伝ってもらったが、そのうちタダ働きしてもらうことが心苦しくなってきた。なんとかならないか、と思っていたら障害者の就労訓練を引き受けると企業に助成金が出る「職親制度」なるものがあることを知った。申請して、毎月わずかばかりの給料を支払えるようになると、どこからか噂を聞きつけて、1人、また1人と、うちの子も働かせてほしい、と電話がかかってくるようになった。

「こんなに障害者が働く場所はないんだ」と筒井さんははじめて知った。「仕事づくり」は、自分の得意分野。障害者の働く場所は、こんなにもない。働きたいという人が、目の前にいる。1つ1つがパズルのピースのようにハマって、筒井さんは障害者の働く場所を木更津でつくろう、と決めた。お金も時間もちゃんと自分で投資して、起業支援から障害者支援に軸足を移した。

※コトノネ15号の記事を再編集しています

写真:武藤奈緒美