三線の棹に使う木片が、カトラリーに生まれ変わる ~ワークサポートひかり

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日本語では、伝えられない

那覇から車で南に20分。沖縄本島の南端、糸満市に入ると、少しずつ景色が変わってきた。糸満は「沖縄の原風景が残っているところ」らしい。海が近いし、赤瓦屋根の集落も残る。さらに南に下ればサトウキビ畑が広がり、庭先には、がじゅまるの樹。光も空気も、どこかアジアを思わせる。遠くまで来た、そんな実感が湧いてくる。

目的地のワークサポートひかりに着くと、工房で飛び交う言葉が、わからない。聞けば、彼らの中でも地域によって言葉は違い、通じないこともあるという。所長の松田修さんが、「わたしが話す首里の言葉は、方言の中の標準語に近い言葉だから、比較的誰とでも通じるんです」と、こともなげに言う。

「日本語で、なんて言ったらいいかわからないときがよくあるよ」と、ここで働く竹野靖さん。たとえば、どんな言葉ですかと聞くと、「ぬちぐすいやっさ~」という言葉を教えてくれた。直訳すると、「ぬち=命、ぐすい=薬、やっさ~=だな」。「心のやすらぎ」を意味する言葉で、あらゆる場面で使うらしい。けれどぴったりの日本語が見つからないから説明に困る、と言う。
ここは本当に、日本なんだろうか、という気持ちがしてくる。

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琉球王朝時代から、愛される木材

ワークサポートひかりは、主に精神障害を抱える人たちが木工製品をつくる工房。ここで生み出される商品もまた、沖縄の風土と切り離せない。黒い木目が美しい、ナイフやお箸などのカトラリーの原材料として使われているのは「リュウキュウコクタン」。沖縄本島以南でしか生えない木で、沖縄では「クルチ」と呼ばれ、三線の棹に使われる高級木材だ。

琉球王朝時代は、特別な人しか触ることを許されず、「金より高かった」とも言われる。虫を寄せつけず、速乾性もある。強靭さもあって理想の木材だが、成長が遅く、三線の棹として使えるまでに育つのには200年~300年もかかる。「でも緻密で硬くて、なんといっても音が響くから三線にはクルチじゃなくちゃという人が多いんです」。

実は所長の松田さん、琉球古典音楽の教師の顔も持つ。だからいまではほとんど出回らないクルチの端材を三線職人さんから分けてもらえる、というわけだ。もらった端材は、その大きさによって、つくる製品を決める。小さい端材はナイフに。大きなものは、くり抜いて箸入れに。墨つけ、糸のこでの荒切り、荒削り、やすりでの手みがき、塗装まですべて、ここで働く人たちが分業。1つ1つ手で、丁寧に仕上げていく。手にとると、なめらかな肌触りが心地いい。

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「ぬちぐすいやっさ~」

竹野靖さんは、もともと家電の修理工をしていたが、ある日脳卒中で倒れた。まひが残り、からだがうまく動かない。仕事ができない。ついついお酒に走ってしまう。「生きたくない」。

家族が心配して病院に連れていくと鬱と診断された。病院から紹介してもらい、ここで働きはじめた。最初のころは、朝起きるとお酒に手を出しそうになったから、すぐに工房に来て、掃除することにしていた。仕事はどうですか、と尋ねると「お客さんが買ってくれるものをつくるのは、やっぱり達成感があります」。まっすぐ目を見て答えてくれた。もともと手を動かすことは好きだったから、仕事が楽しい。まひが残る右手も、仕事がリハビリになって、少しずつ動かせる範囲が広がってきた。

覚えたての言葉を使ってみたくて、じゃあ竹野さんにとってこの仕事は「ぬちぐすいやっさ~な仕事だ」と言えるんでしょうか、と聞いたら「そうですねぇ…。たとえば、仕事終わりのビールを飲んだとき『ぬちぐすいやっさ~』と言います」と笑った。

※『コトノネ』14号の記事を再編集しています

写真:岸本剛