ハグしたくなるビール ~真備竹林麦酒醸造所

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「お酒づくりは、楽しいよ」

ふんわりと甘い香りが、醸造所の前に漂っていた。香ばしい、麦の香り。
「今、麦芽にホップを投入して、煮沸しているところです」と、代表の多田伸志さんが教えてくれた。飲ませてもらうと、甘い。麦のジュースだ。この麦汁に酵母を入れると、「酵母が、パクパク糖分を食べて、アルコールに変えよるんです」。急にビールが、生き物みたいに思えてくる。

ここで働くのは、精神障害を抱える人たち。彼らが豊かに生きられる場所をと、長年精神病院で働いていた多田さんが中心となって立ち上げた。ビールづくりは、地ビール醸造所を営む友人が「お酒づくりは楽しいよ」と誘ったことから。仕事は地域の人とつながれることを、と思っていた多田さん。出来立てビールを近所の人が飲みに来る…、そんな光景が頭に浮かんだ。2011年から醸造をはじめて、今年で7年目になる。

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「ぼちぼち」が、合言葉

この日仕込んでいたのは、店で一番人気の「ささ」。さらりとした飲み口、フルーティーな味わい。ほんのりとした甘みも感じる。ビールが苦手な人でも、この「ささ」なら好きになるという。キレや苦みを追求するビールとは正反対。心地よさに、何杯でも飲んでしまいそうだ。

ビールの味や香りは、酵母の働き具合によって、変化する。酵母は生き物。人間と同じように、調子がいい日も、悪い日もある。同じ温度、同じ時間に設定しても、出来上がりが一緒になるとは限らない。だから、面白い。
仕込みは、守屋寛人さんの仕事。「ほんとは、味が違っちゃだめなんですけどね」と、守屋さん。でも、その違いも手づくりビールならでは。今日はどんな味だろう、と楽しみが増えそう。

「ぼちぼち」が合言葉のここで「頑張って」は禁句。けれど励ましたかったんだろう、仲間が「踏んばって!」と声をかけていた。

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「イタリアのバールみたい」

醸造所と併設された呑み処「Beerまび」は週末だけ開くお店。テーブル数席とカウンター席の小さなつくり。はじめての店なのに、そんな気がしない。ゆったりとした時間が流れている。

夕方4時。店を開けると、待ってましたとばかりに入ってきたのは近所に住む中上信夫さん。84歳。靴を脱いで、いつもの一番奥の席に。ここで「不良飲み仲間」(中上さん)と集まって、カラオケに流れるのが、お決まりのパターン。「お酒、大好きなんじゃ」とニコニコ顔。実は中上さん、ここで働く人たちにアパートを貸している。多田さんが頼みにいったら、即OK。最近、みんなで出かける時用にと、車もくれた。「何かの足しになりゃーなぁ」。気持ちよさそうにビールを飲んでいる。

1人、また1人と、集まる。気がつけば外は真っ暗。反対に、お店の中は明るい笑い声で満ちている。小さな店が、さらにぎゅっと狭くなったような気がする。
顔を寄せて話すグループは、聞けば「この店で知り合いました」。年齢も職業もバラバラ。共通点は近所に住んでいるということだけ。ふらっと家から歩ける距離に、出来たてビールを飲める店ができた。毎週ここに来るうちに、それが当たり前になった。今では金土どちらか顔を出さないと、「死んどるん?」と電話がかかってくる。

「ここはイタリアのバールみたい。もう生活の一部」「そうそう、週の最後にここに来れば、嫌なことがあっても、いい1週間だったと思えるっていうか…」。
みんな、お店の話をする時、得意顔になっている。

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友達を連れて行きたいお店

料理を運んでいるのは、統合失調症とはもう長い付き合いの塩出晃一さん。「お皿が熱いので、お気をつけください」と、気配りを忘れない。最初の頃は、緊張して「『いらっしゃいませ』が変なイントネーションになっちゃったりね」。今でも注文をとる時、「ピザトーストだけですか?」と、「だけ」をつけるクセは抜けない。けれど、塩出さんの言葉で追加を頼む人もいるというから、それでいいのかもしれない。

お客さんが言う。「友達をよく連れて来るけど、最近は精神障害のある人が働いているってこと、特に言わないなぁ」。
時計が夜9時をまわると、店じまい。帰り際、塩出さんと握手をする人。ハグする人。笑顔、笑顔。お客さんが帰った後も、お店の中には、笑い声の余韻が残っていた。

※『コトノネ』10号の記事を再編集しています
写真:岸本剛