「富山型」で育った子は、どんな子どもになる?-共働き夫婦の味方!「富山型」ってナニ?(後編)

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赤ちゃんからお年寄りまで、対象を限定せず、ひとつ屋根の下で過ごす「富山型」。電話一本で、時間を延長できたり、親にとっては利用しやすいというメリットがあるが、どうやら、子どもの成長の場としても、ほかでは得られない体験ができるようだ。

棺桶の中で、おじいちゃんに添い寝した

富山型のはじまりとなったデイサービス「このゆびとーまれ」の代表の惣万佳代子さんに、こんな話を聞いた。「このゆび」で育った5歳の男の子が、おじいさんが亡くなって、田舎へ帰った。すでにもうおじいさんは息を引き取ってしまっていて、棺桶の中に入っていた。孫の中には怖がって近づけない子もいたが、その子は棺桶に入り、おじいちゃんに添い寝をしたと言う。お父さんは「この子は『このゆび』で育って、最期を迎える人を見てきたから、死が怖くなかったんじゃないか。これが彼なりの最期のお別れの仕方だったんじゃないか」とそれを喜んだ。

「このゆび」はそもそも、病院ではなく、畳の上でお年寄りが死んでいける場所をつくりたい、という思いがきっかけで立ち上がったデイサービス。だから、ここが看取りの場になることもある。ここに通う子どもは、人がだんだん年をとっていき、弱って亡くなっていくことが怖いことではない、ごく自然なことだと肌感覚で知っているのだろう。このゆびには、障害のある人も働いたり、通ったりしている。「でもそういう人がいて、『このゆび』や、そういう人がいて社会やと思とる」(惣万さん)。
前述の男の子は、車いすにのっている人にも、道ばたで躊躇なく、あいさつをする。父親にとっては、それもまた新鮮だった。「この子は、大人の自分ができないことが、自然にできるんです」。
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認知症のおばあちゃんが、子どもをあやす

子どもたちがいることは、お年寄りや障害者にとっても、いい影響を与える。動き回る子どもたちを目で追いかけて、表情がゆるむ人、頭をぶつけないようにと、机の角を手で押さえる人。「認知症の人で、手に負えない人がうちに来ても、赤ちゃんを見たらやっぱりにこやかになるね。ほんの一瞬、短い時間だったりするけど。暴力的になっている人も、不思議と子どもにはふるいませんね」(惣万さん)。

あるおばあちゃんは、「B29が来た」と言って鍋をかぶるほど、認知症が進んでいたが、子どもがなかなか泣きやまないとき、だっこして、自分のおっぱいを出したと言う。「もちろん飲ませんかったけど、わたしはその話を職員から聞いたとき、感動したんですよ。子どもが泣いているのを、おさめようとしたってことに」。

職員も、家族ですら、きっと引き出すことができないお年寄りの感情や行動を、子どもはいとも簡単にひっぱり出す。反対に子どもは、あらゆる人たちと過ごすことで、「いろんな人がいて当たり前」という、机にかじりついても身に着けられないことを、身体で学んでいく。
「面倒を見られないから預ける」のではなく、「ここじゃないと、過ごせない時間があるから預ける」、そんな場所が増えれば、預ける側の家族の気持ちも楽になる。富山型の実践には、これからの福祉のあり方の可能性が、つまっているように感じた。

※11月17日発売『コトノネ』20号の特集で、「このゆびとーまれ」をご紹介しています。

写真:岸本剛