【コトノネ編集長のおまけ日記】実の娘より、花がいい

コトノネ編集長のおまけ日記

嫁はんの母を東京に呼びよせたのは、もう10年ほど前か。それまでは、年に2回ほど京都から遊びにきていた。嫁はんは、年1回ぐらい京都に出かけていた。いっしょに買い物に行くと、ちょっとした金額で札を出すようになった。釣銭の勘定ができないのではないか。ひょっとして認知症がでているのでは、と心配しだした。

それから、1年ほどたった時か。新横浜駅に義母を迎えに出たとき、義母は小さいシミのついたブラウスを着て降りてきた。身に付けるものには気配りしていた義母だった。ひとり暮らしは難しくなったかな。義母が寝た後、嫁はんと話し合った。
義母は、生まれ故郷の京都を離れることを渋った。無理もない。何度か、おいで、わかった、を繰り返し、振出しに戻り、そして、東京にやってきた。いっしょに暮らすようになって、認知症が進んだ。料理が大好きだったのに、台所に立つことすらしなくなった。娘と暮らすより、住み慣れた京都がよかったのか。気さくに話せる友と離れて、自分を表現することができなくなったのか。無理やり連れてきたわけではないが、年を取って環境を変え、環境を組み立て直すことの大変さを知った。「悪いことしたな」「余計な気配りやったかな」「トコトン京都で一人で暮らした方がよかったかも知れん」。夫婦で答えの出ない会話が続いた。
2年ほどして、グループホームのお世話になることになった。入所して、しばらくして、嫁はんは、義母の「お母さん」になったり、「お姉さん」と呼ばれるようになった。1年ほど前から、嫁はんが、わたし、わかるか、と聞いても、ただニコッとするだけ。もうほとんど話すこともなくなった。毎週でかけて、嫁はんは話しかけ、義母がニッコリが続いている。

毎週のように嫁はんは花を届ける。花を差し出すと、義母は「やあ、きれいやなぁ」とつぶやく。「ほんま、きれいやろ」と嫁はんが言うと、「きれい、きれい」とニコニコ笑う。
誰からも促されず、自分から出た言葉。娘を忘れても、花はすごい。