【NPO法人シェルパ古市貴之 連載コラム】楢葉町でぽくりぽくり 今こそ賢治さん

古市貴之さんは、震災後ふるさとの福島県楢葉町に戻り、「さってばさ(=福島の方言で、「なんでも必要なときにすぐやること」)」のサービスをしたいとNPO法人シェルパを立ち上げ。2年前の『コトノネ』17号の取材を通して、出会いました。
これから、いまの楢葉町の様子や、古市さんが考えていることをつづってもらいます。

naraha

今こそ賢治さん

福島にも今年、白木蓮の花が白くきれいに咲いた。この花を見ると童話作家・詩人の宮沢賢治を思い出す。賢治作品好きもあって、一昨年、原発避難解除から間もない双葉郡楢葉町で賢治作品の朗読会を開催させてもらった。語ってくれるのは東京からお招きした宮沢賢治作品専門の語り手おつきゆきえさん。時折涙を浮かべながら感情のこもった物語を話していただいた。ぜひとも宮沢賢治作品をこの土地で上演したいと強く思っていた。

私が賢治さんの童話を好きになったのは震災後におつきさんの朗読を聴いたのがきっかけで「よだかの星」「グスコーブドリの伝記」「月夜のでんしんばしら」などなど好きな作品はたくさんあるが、その時も聴いた虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)という作品が特に好きだ。

自然や動物が好きなのんびりとした性格で、おかしくもないのに笑ってばかりいると周囲から馬鹿にされているケンジュウと言う名前の青年が主人公の話で、家族と百姓をしながら何一つ周囲に頼みごとをしないでまさしく愚直に慎ましく生きてきた彼が家のうしろの野原に杉の苗木を700本植えたいと家族に頼むところから物語は始まる。

痩せた土地なので村中の人に笑われながらもケンジュウは苗木を植え世話をし続ける。数年が経ち、その杉林は村の子ども達の愛する場所となり毎日通う遊び場になった。それは彼が亡くなった後も続き、家族はケンジュウのただ一つのかたみだからと杉林を売らずに残していた。その村から出て大人になった子供たちは杉林の存続のためにたくさんの寄付や手紙を送り、その杉林は「虔十公園林」と石碑が立ち、これからも何千人の人たちに本当の幸いが何だかを教えてくれる場所となったというお話だ。
賢治さんは自らのことをケンジュウと表記することもあったと言う。自分に似た存在、自らがそうありたい存在として物語の主人公にしたのかもしれません。

誰が賢く、誰が賢くないのか。何が正しく、何が正しくないのか。それは誰も決めつけることはできない。私たちは先入観や思い込み、レッテルや偏見・差別を無意識にもしてしまう時がある。それは自分を守るためだったり誰かの都合に乗らざるを得なかったりする場合が多いと思う。人の役に立たなくてもいい。便利すぎなくてもいい。急がなくてもいい。そこに存在し生きてくれているだけでいい。そう賢治さんは作品を通して現代の私たちに語りかけてくれている気がします。賢治さんならどんな東北の復興を想像するでしょうか。

作品の行間から溢れる優しさや哀しさの人間賛歌、生への渇望、様々な喪失との対話とリカバリー、自然を愛し、謙虚な気持ちで人を愛した賢治さんの心象風景を想像してみることは、今、福島で生きる私たちにとって、今とても意味のあるものだと思います。
福島県いわき市出身の詩人草野心平さんは、その素晴らしさから賢治作品を世に出すために奔走したそうです。同市小川町にある草野心平記念文学館は、会いたい誰かに会えるような私のとても好きな場所。今度また子供たちを連れて行ってみよう。