スペクトラムの時代の「家」に向けてー「障害の家」松本卓也×大崎晴地 トークイベント前編「今は、誰もがプチ狂気をもっている時代」

空間から、その人の世界を体験する

大崎 論文にも書いたことですが、お互いを認め合うということを前提としてこの均質空間というものがユニヴァーサルなものになっていったということを建築家の原広司さん(※5)が言っていますね。均質空間はある意味で我々のデフォルトの空間になっていて、そこで思想、自分たちの考え方が作られている。建築というのはそういう思想を作り上げる、具体的にそこにあるものとして思想を強化していく側面があると。だからお互いを認め合うということが人間として善しとされる、ばらばらというよりかは、お互いの対話の可能性を均すように空間が機能している。

人それぞれの価値基準を、建築にいかに反映できるのか。普通に建てられる建築のプロセスは遅いですが、設計プロセスの多様さをそのまま人が住むレイヤーと同じ視点から考えることができれば、環境を取り入れた他者との関係性が作れると思うんです。人それぞれ、建築以外のところで何かやる、遊びとかスポーツで発散する、ということはあると思うんですけど、建築ではなかなか人それぞれの建築というものを設計のレベルで考えるということが難しいのではないかということもあるんですね。

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photo by Takahiro Tsushima

松本 なるほど。今、相互理解という話がありましたけど、他者ないし障害をもっている人を理解する方法って、いくつかあると思うんですね。たとえば、その人がどんな体験をしているかを聞く。自分はこんな幻聴が聞こえて困っているとか、こんなこと(妄想)を考えているんだとかを聞くような、言語を介する理解の方法がまずは試みられます。しかし、それはやはり言語を介しているがゆえに、意味も分かるし、それが奇妙な体験なんだということは分かりますが、その理解が本当にその人自身の体験に一致しているかどうかはわからないですよね。あるいは、その障害をもつ人が作った芸術作品を見て、これはすごいな、独特な世界だな、ということが分かったとしても、それでその人のことが理解できたかどうかはちょっと疑問符が付く。けれど、障害をもちながら、自分がどう住むかということを考えながらセルフビルドしていった家は、自分が一番住みやすい家だったりするわけですよね。すると、実際に障害をもつ人がこの「障害の家」のような家をセルフビルドで作って、その家に他者を招き入れたとき、それは自分の住んでいる世界そのものに人を招き入れるということになるのかもしれません。

この「障害の家」は、たぶんここに入った方はおそらくみんな躓いたり、よろめいたりしながら観覧したと思うんですけど、1時間くらいうろうろしていたら慣れるんですよね。確かに変な空間だけど、ここにずっといることによって体が慣れてくる。おそらくその状態は、この家を作った障害をもった人の世界の体験とかなり近くなっているのではないかと思いました。

だから、建築を介する他者理解というのは、言語を介するものや、詩や文学作品などの言語芸術を介した他者理解よりも、おそらくはその個人の個別性そのものにダイレクトに接近できるのではないかという気がするんですよ。このなかに1時間ないし1日もいると、自分の身体が変わっていくということがあると思うんですよね。反対に、これまでのバリアフリー建築というのは、どんな人が来ても躓かずにいられることを第一義にしているから、そのような他者理解が働かない。

「人はみな建築する」

大崎 もともと病理的な経験にいかに近づけるかということを問題にしてきたようなところがあって、リハビリ的な、臨床的なモデルになるようなものと、同時に病理的な経験を共有するみたいな部分での、そこへの不可能性みたいなことを問題にしてきました。割とロジックと一緒に芸術作品の経験を考えていくというのがこれまでのやり方だったんです。

松本 なるほど。これまでの他者に対する配慮や、他者との共存は、ある種のリベラリズム的な考え方にもとづいていて、自分とは違う他者や、自分とは何かを共有していない他者がたくさん世のなかにはいるけど、あの人はあの人だからね、という感じで突き放して扱ってきた。それが、共存のための作法であって、実際にはバリアフリー化というかたちで実現されてきた。しかしそれでは結局、他者理解はできていないわけですよね。

大崎さんはもともとリハビリへの興味から始めていますけど、リハビリテーションという言葉には、ふたたび「ハビリテーション」ができるようにする、つまり、一緒に住むことができるようにするという意味があるわけです。そのへんのつながりも面白いですね。

大崎 そうですね。他者理解ということも最初から共存するための技法みたいなことがあり、そこを住むところから考えていくということですね。

「人はみな妄想する」という言葉がありますが。

松本 僕の本のタイトルね(笑)。

大崎 人はみな妄想するけれども、同時に臨床的な空間を考えていくにあたって、「人はみな建築する」という要素を考えていけないかなと思っていて。つまり建築というのは建築家とか設計者以外はなかなか手を触れられない領域で、自分で作るというのは難しいわけですよね。だけど生活空間のレイアウトを変えるとか内装のレベルでは自分たちでもやっていることであって。自分たちで改築、増築していくとか、リノベーションやDIYもそうかもしれないですけど、みなが「建築する」という状態を方法的に考えていけたらなと。

中編につづく

(※1)ジャック・ラカン
ジャック=マリー=エミール・ラカンはフランスの精神分析学者。レヴィ=ストロース、アルチュセール、フーコーと並ぶ構造主義の四大家の一人。フロイトの精神分析学を構造主義的に発展させたパリ・フロイト派のリーダー役を担った。

(※2)『人はみな妄想する』
松本卓也著、2015年青土社刊。精神病か神経症かを判断する「鑑別診断」に、思想と臨床の両方から光をあて、まったくあたらしいラカン像を提示。その立場から50年代、60年代、70年代のラカン理論に一貫したテーマを見出した。

(※3)スペクトラム
英語で、連続体の意味。

(※4)寛解
病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。

(※5)原広司
建築家。東京大学名誉教授。代表作に、「京都駅ビル」(1997年)や「札幌ドーム」(2001年)など。

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