障害者雇用でユニバーサル農業へ――京丸園株式会社・鈴木厚志さん

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鈴木厚志さん(右)

静岡県浜松市で水耕栽培を営む「京丸園株式会社」。園主の鈴木厚志さんは、障害者と出会うことで、自ら築いてきた農業のやり方を変えた。そしていまでは、それを日本中に広げようとしている。

障害者に合わせて生まれた野菜

がらがらと引き戸を開けて中に入ると、そこには一面の緑。外からの強い日差しがハウスのビニールでやわらげられ、ハウスの中の光はやさしい。新幹線がすぐ横を通っているが、中は静か。その静けさの中に、かすかに水が流れる音がする。水耕栽培施設を見る機会はあっても、これだけの大きさのハウスを見ることはあまりない。しかも同規模の施設が、ここだけでなくあと4カ所あるのだと聞いて、さらに驚いた。

静岡県下でも有数の規模を誇る水耕栽培農園「京丸園株式会社」。みつばや芽ねぎ、ミニトマト、チンゲン菜などを1年通じて生産している。京丸園では1994年から、毎年1人の障害者を雇用し続け、いまでは20名の障害者が働く。園主の鈴木厚志さんは、目の前の緑を示しながら、「これは彼ら障害者がいたからこそ生まれた商品なんですよ」と言う。それが「姫ちんげん」だ。京丸園が独自に開発した、全長12センチほどの小さなチンゲン菜は、汁の実や料理のいろどりとしてレストランで使われる高級野菜。単価も普通のチンゲン菜よりも高い。「このサイズのチンゲン菜を1日2万本出荷できるのは、全国でも、うちだけだと思います」と鈴木さんも自慢げだ。

「姫ちんげん」の栽培がはじまったのは、10年前。京丸園の障害者雇用も軌道に乗りはじめたころで、鈴木さんは、障害者だけでつくれる野菜を探していた。「それまでつくっていたみつばとねぎは、ゴミをとったり、長さをそろえたりといった調整作業が必要で、それが障害者には難しかった」。比較的簡単なのがチンゲン菜だった。チンゲン菜でどう勝負するか、どうすれば売ることができるのか。考えた末に、ミニチンゲン菜という発想に至り、開発したのが「姫ちんげん」だ。「本当だったら売れる商品をつくるというのが正しいんでしょうけど、『姫ちんげん』の場合は逆に『人』からスタートしているんです」。いまでは「姫ちんげん」の売り上げは年間6500万円にまで達しているという。京丸園を支える柱の商品の一つにまで成長した。

障害者の力を借りて、自分の農業を変えたい

鈴木さんは、父親の代からの農家だ。水耕栽培をはじめたのはかなり早く、40年ほど前のこと。父親から農園を継いで、自分の代になったとき、それまで学んできた農業経営を生かして、新しいことにチャレンジしたい、という思いが鈴木さんにはあった。その時出会ったのが、障害者雇用だった。最初はボランティアのつもりで、障害者を雇い入れてみることにした。そうしたら「パートさんたちが彼らをサポートしてくれるという、予想もしなかったことが起きて」。職場のみんなが、障害者を応援してくれた。職場の雰囲気もよくなった。その結果、作業効率が上がったと言う。

障害者を受け入れることで、生産性が上がるとは予想もしていなかった鈴木さん。会社全体のパフォーマンスを高めることができた。これはこれからの農業にとっての、カギになるんじゃないか、と考えた。「それで、ボランティアっていう言葉を忘れて、ちゃんとビジネスパートナーとして彼らを迎え入れようと決めて」。1年に一人ずつだが、定期的に障害者を雇用することにした。「そうすることで、自分たちの農園が変われそうな気がした」(鈴木さん)。

ユニバーサル農業で家族経営からも脱皮

農園の経営を引き継いだ時は、年間の売り上げは6500万円くらい。農園の規模もいまよりずいぶん小さく、水耕栽培のハウスは一棟しかなかった。それから20年、障害者を1年に一人ずつ雇用してきて、いまでは2億9000万円にまでなった。規模拡大に成功したのは、家族経営から抜け出し、法人化して「企業」として農園を経営することができるようになったからだ。「いままで自分たちがやってきた業務を一つひとつ見つめ直し、何をしているのかを体系化・可視化することで、誰でも農業に参画できるようにしました」。

こうした変化は、障害者と共に働くことで可能になった、と鈴木さんは言う。「彼らが、誰の助けも借りずに、一人で作業できるには、どうしたらいいのか。彼らを変えるのではなく、働く環境の方を変えていった結果、誰がやっても同じ結果が得られる農業をつくることができた」。たとえば、チンゲン菜の定植。普通のやり方では、苗をまっすぐにさせない人もいる。だからといって、作業のあとで誰かがすべてをチェックして直す、というのでは意味がない。そこで鈴木さんは、定植の際に使う発泡スチロールの型に工夫をした。パレットの大きさに合わせた発泡スチロールの板に、いくつもの穴が開いていて、そこに苗を植えていくのだが、その穴を少しすり鉢状にすることで、誰がやってもまっすぐに苗を植えることができるような工夫をしたのだ。

障害者の目線ですべての作業工程を見直すことで、経験のあるなし、身体能力、年齢に関わらず、農業は誰にでも参画できるものに変えられる。鈴木さんはこれを「ユニバーサル農業」と呼んで、京丸園の経営の核に据えている。

農福や福福連携、さらに、企業も地域ごと

「ユニバーサル農業」の考え方を広げることで、鈴木さんはいま、地域や企業を巻き込んだ農業を展開しようとしている。京丸園では、伊藤忠テクノソリューションズの特例子会社である、「株式会社ひなり」から障害者を受け入れている。正確には、京丸園が株式会社ひなりと作業請負契約を結び、業務の一部を委託するという形をとっている。さらに鈴木さんは、「NPO法人しずおかユニバーサル園芸ネットワーク」を立ち上げ、静岡県下にこの動きを広げている。結果、県内で九つの農家が手を上げ、京丸園同様、作業請負契約の形で障害者の受け入れをしている。「農業は、障害者の仕事としてはとても有望なのですが、企業にとっても、福祉施設にとっても、設備投資がかかるというリスクがあります。一方で地域の農家は、高齢化・過疎化で後継者不足、働き手不足に悩まされている。そこをマッチングできれば、誰にとってもメリットのあるモデルがつくれる」。京丸園では、地元の就労継続支援B型から、施設外就労も受け入れている。企業と福祉と、地域の農業が連携できるモデル。それが可能なのも、誰もが農業に参画できる「ユニバーサル農業」の考え方があればこそだ。

全国に「ユニバーサル農業」の考え方を広げたい、という鈴木さん。「農家は、なにもなければ自ら変わろうとはしないんですよ。僕も障害者と出会ったことで、変わることができた」という。全国の農家が障害者と出会い、日本の農業が変わる、そんな日を夢見ている。

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※「京丸園」の記事は、2015年2月発売の『コトノネ』13号に掲載されています。

写真:河野豊