味噌づくりが、からだにスッと入っていく――「片山商店」(後編)

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京都府亀岡市で半世紀の歴史を持つ味噌蔵「京丹味噌 片山商店」で、6年前から障害者が働いている。自分たちの得意を生かして、味噌づくりを、自分たちのものにしようとしている。

「おたすけ」のつもりで受け入れた

片山商店が障害者雇用をはじめたのは、6年前のこと。近所の養護学校から、夏休みの実習を受け入れたことがきっかけだった。「こっちも50年前、なにもないところから商売をはじめて、いろんな人におたすけをもろうてやってきましたから」。その時来ていたのが、中澤さんだ。実習では味噌づくりの基本的な作業をしてもらった。「おたすけ」のつもりで受け入れたが、思いのほか働けることに気づいたという。しかし実習を受け入れることと、人を雇うこととはまた話が別だ。学年の終わりに担任の先生が再び片山商店を訪れ、その年で卒業となる中澤さんの雇用を打診してきた。「不安ですか? そりゃあお互い人間がやることですさけ、裏をみりゃきりないことやけど、やっぱりみんな、この世に平等に育ってるんやから、みんなでやったらいけるやろうと。まずは本人の気持ち。本人はどうや、と」。中澤さんは、やってみたいという。それなら、と雇い入れることを決めた。「来てくれたら、スタッフがみんな喜んでね、みんなきばってくれはるんです」。だからみんな「障害者」という言葉をきろうてね、と秋雄さん。なぜわざわざ分ける必要があるのか、みんな同じではないか、という気持ちが、自然とわいてきたのだろう。

2人の、一番「姿」のいい仕事

社員は全部で11人。そのうち障害があるのは田中さんと中澤さんの二人。社長の秋雄さんは、人材の配置は、障害があるかどうかに関係なく、その人に向いていることをやってもらうことを一番に考えているという。「だれでも長所と短所があります。うちでは、長所を生かせる仕事に、みんなついてもらう。手先が器用な人はこっち、力が強いのはこっち、というように」。では、パック詰めや荷運びなど、いろんな仕事がある中で、二人に味噌づくりを担当してもらうようになったのは、なぜなのだろうか。「二人はね、今の仕事が一番『姿』がいい」と秋雄さん。仕事をしているときの姿勢や雰囲気がしっくり来ているということが、なによりもその仕事が彼らにあっているということの証拠だ。秋雄さんはそれを、「体が味噌づくりにあっている」と表現した。

息子で専務の宏司さんが、フォローする。「実は最初は、人員の関係もあって『そうしてもらうよりほかない』から、やってもらったという部分もあります。もちろん不安はありましたよ。できるのかな、って。覚えなくてはならないことがたくさんあるし」。「本人にその気がなかったら、なんぼ言うても覚えられへんし、でけへん。せやけどやっぱりしがみついてくる根性が、それなりに、体に出てくるんでしょうな」と秋雄さんも言う。「そうやっているうちに、仕事が回りはじめたんです。麹菌って不思議なもんで、いっぺん流れがよくなって、いい麹ができはじめると、それがずーっと続くんですよ。その流れを断ち切ることなく、流れに任せた方がいい。いっぺん任せたんだから、ずっとやってもらった方が、いい味噌ができる。結局、彼ら二人は、うちの味噌蔵の環境におうたんやと思います。それは数字でも、言葉でも表せない部分です」(宏司さん)。今では逆に、その状況に会社をあわせていこうとしている。「今度、大学生のアルバイトが入ってくるんですよ。二人には、アルバイトに味噌づくりを教えてもらわなきゃいけない(笑)」。田中さんと中澤さん、顔を見合わせて、照れ笑い。

きばらなあかんな、と気合を入れて

今年で45歳になる田中さんは、片山商店で働いて5年目になる。以前は電気装置の製造会社で働いていたが、倒産してしまったためにこちらにやってきた。「最初はわからないことだらけでした」と田中さん。秋雄さんは「前の会社と違って、うちは仕事の種類が多い。荷物を下ろしたと思ったら、今度は米洗い。次は豆洗いと、やることが一日で目まぐるしく変わりますから、最初は大変だったでしょうね」。それでも頑張って仕事を覚えた。以前から覚えていた車の運転が、ここでも役に立った。工場から倉庫まで味噌を運ぶトラックを運転する仕事を担当するようになった。さらに、倉庫内での作業のために、フォークリフトの免許を取った。今では乗り物を使った仕事は、田中さんの担当だ。「仕事はいろいろあって楽しいです。以前の仕事は、退屈でした。今は時間が過ぎるのがあっという間」と笑う。お得意さんへの納品にも、一人でトラックを運転していくようになった「最初は不安でしたけど、今はもう大丈夫。みんな顔見知りになりました。顔見知りが増えるのって、悪くないです」。車で30分くらいの京丹波町で、実家暮らし。お父さんが亡くなって、そろそろ一年が経つ。お兄さんと二人で、残されたお母さんを支える。「きばらなあかんな、と気合が入りました」。秋雄さんも「来た時はなんとなしに自信のない感じでしたけど、最近はどっしり構えて、仕事にも迷いがないというか、意欲的になってきました」と嬉しそう。

いい麹ができるとうれしい

24歳の中澤由美子さんは、6年目。田中さんの、年下の先輩だ。特別支援学校を卒業後、すぐ片山商店へ。その経緯は先に説明したとおりだ。小柄で細身、力仕事もある味噌づくりの作業は「最初はしんどかったです。重たいものを持ったりとか、体力的に」。でも六年もやっていると、体力がついてきた、と言う。中澤さんの得意は、麹づくりだ。「朝、ドラムに米を入れて、一時間蒸す。それを今度は冷やして、麹菌打って、一日寝かす、その工程を見守ることが楽しいです」。「みんなで、出てきた麹を見て、今日もいい麹やったな、おいしい味噌できるなっていうのが、喜びやないかと思います」と秋雄さん。「味噌づくりのすべてを覚えるには、まだまだです。課題が多すぎて、一から自分で仕込める、とはまだ思えない。でも、いい麹ができたときは、とてもうれしいですね」。

味噌づくりの真髄を彼らに集めて

「今、うちの味噌づくりの知識や経験は彼らに蓄積されています。その意味で、とても期待しています。逆にプレッシャーをかけている部分もある」と宏司さん。各作業工程を教えるだけでなく、こうしたらうまい味噌ができるという、片山商店の「味」の作り方も、教えようとしている。「それをガラス張りにして共有しようとしているんです。うちは朝9時半から10時まで、販売会議と朝礼があって、それから作業に入ります。それぞれの毎日の工程や課題は、みんなわかっている。今では二人も作業工程を発表しています」(宏司さん)。秋雄さんも「だんだん顔つきがよくなってきた。今まではどこかよその話でしたけど、このごろはだんだんプレッシャーがかかってきて、こっちの話を真剣に聞けるようになった。すでに味噌づくりの一通りは知っている。これからがほんまの勝負ですな」と「味噌職人」の誕生に期待する。

秋雄さんは「はたから見たら、障害とかそんなことがあり得ない姿ですわな。今見てくれはった通りです。ですから、障害があるとかないとかじゃなくて、会社のみんなが、それぞれ引っ張り合う、お互いの調子を見ていくのが、一番ええように思いまんなあ。みんなが一つになって、持ち場、持ち場で頑張って。ちょっと利益をあげたら、みんなで分け合おうとか、そういうことが、一番大事やろうなと思うんですけどね」という。障害があろうがなかろうが、お互いの長所を生かし、足りないところは補い合う組織へ。田中さんと中澤さん、二人の頑張りが「京丹味噌」の味をつないでいく。

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※「片山商店」の記事は、2015年11月発売の『コトノネ』16号に掲載されています。

写真:河野豊