４月７日から開催される「東京ろう映画祭」で、ドキュメンタリー映画が上映されるろうあの写真家・井上孝治さん。関連企画として写真展も開催。それに先駆け、３月１０日長男の一（はじめ）さんと、孝治さんという写真家が世に出るきっかけとなった広告シリーズ「想い出の街」を手掛けたアートディレクター、副田高行さんによるギャラリートークが開催され、孝治さんのさまざまなエピソードが、語られた。

写真左が副田高行さん、右が井上一さん

最初は、見本写真のつもりだった

福岡の老舗百貨店、岩田屋の広告を手掛けることになったアートディレクターの副田高行さん。いっしょに多くの広告を手掛けていたコピーライターの仲畑貴志さんと、地元の人たちを巻き込む「想い出の街」というキャンペーンを企画した。

「広告って普通は広告写真家に写真を撮ってもらって、一方的に投げるっていう感じなんですけど、そのとき仲畑さんと考えたのは、一般の人に写真を応募してもらって、それを使ってキャンペーンをやろうと」。募集するのは、戦後まだ貧しさが残るものの少しずつ復興してきた昭和３０年代の福岡の街中でとられた写真に決まった。

写真を募集すると言っても、見本が必要だ。そのとき、たまたま岩田屋の宣伝課の人が知り合いだったことから、一さんに声がかかった。一さん、実は父親である孝治さんと同じ写真の道に入り、プロの広告写真家になっていた。「確かお父さん、昔写真をとっていなかったけ、とわたしに話がきたんです」（一さん）。

何に使うのか知らされぬまま、押し入れの中に眠っていたネガとベタ焼きを東京の副田さんの事務所に送ると、副田さんが福岡に飛んできた。「もうぼくは、写真のすばらしさに仰天したんです」。
福岡にやって来た副田さんに、孝治さんはコンテストに入選した写真を次々と見せたが、副田さんの心が動いたのは、人々の何気ない表情を映した写真だった。「孝治さんは、コンテスト荒しですから、立派な作品を自慢げに見せてくるんですよ。でもぼくはそういうのを求めていなかった。もっと人が映っているのが欲しくって、そっちばかり見ていたんです。だから孝治さんに最初は、こいつなんにもわかってない三流のデザイナーだな、って思われていたと思います（笑）」。

孝治さんの写真は、はじめ一般の人への写真募集を呼びかけるための広告に使用されたが、最終的に方針を切り替え、広告そのものに、孝治さんの写真を使うことになった。「あまりにいい写真だったので。キャンペーンをやったのは平成元年（１９８９年）。だから孝治さんの写真は、よき昭和の記憶といった意味合いも持つようになったんです」（副田さん）。

ぱっと出して、ぱっと撮った

言葉を話せない、耳が聞こえない孝治さんの撮影スタイルは、とにかくシャッターチャンスを待って待って、待って待って、撮るやり方。カメラをわきの間に挟み隠して、撮影したい一瞬にカメラを構え、瞬時に被写体との距離などを目測、ピントを合わせて撮影した。
だから、写真を撮っていることに被写体は気が付いていないことも多かった。たとえば上の写真も、子どもはカメラに気が付いているが、大人は無防備だ。
当時は、子どもは外で遊び、夕飯の煮炊きも道端でやるのが当たり前。そんな外にあふれていた生活の風景や人々の表情を、孝治さんは切り取っていった。

作品の中には、長男・一さんを撮った写真も

孝治さんだけ、ルンルン気分

この岩田屋の広告キャンペーンは話題となり、孝治さんはテレビや雑誌に紹介されるなど、時の人となる。写真集の出版、写真展の開催と、話はとんとん拍子に進んだ。副田さんは写真集出版記念パーティのときの孝治さんの様子が、印象に残っていると言う。

「孝治さんは、話せないので、代わりに一さんがスピーチをしたんです。岩田屋の広告がなければ井上孝治という写真家はおそらく世に残らなかった、そんな話を一さんがして、途中から感極まって、号泣してしまったんです。それを隅で聞いていて、ぼくももらい泣きして。すごく感動的な会だったんですが、孝治さん本人は、もちろんしゃべっていることが聞こえていないっていうのもあるんですけど、ただうれしくて仕方ない、ルンルン気分な感じで（笑）。ぼくら二人がわんわん泣いているのに、なんのこっちゃない、みたいな。それがすごく印象的でした」。

７０歳にして発見された写真家は、それから約３０年経ったいまも、国内、海外で写真展が開催され続けている。

関連リンク

東京ろう映画祭
２０１７年４月７日（金）～９日（日）、開催！
https://www.tdf.tokyo/　

※井上孝治さんのドキュメンタリー映画
ブリジット・ルメーヌ監督『井上孝治、表象を越えた写真家』
４月７日（手話弁士付き）１０：３０　上映
４月８日　１３：２０ 上映

※関連企画 井上孝治写真展 『あの頃 ～1959年沖縄の空の下で～』
４月５日～４月１０日
会場：America-Bashi Gallery［アメリカ橋ギャラリー］