「身に着けると、気持ちが晴れるような装具を」―中村ブレイス株式会社(後編)

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島根県大田市大森町で「義肢装具」を製造する中村ブレイス株式会社。業界内では知られる存在だったこの会社を、さらに一躍有名にした製品がある。
それは、シリコーンゴム製の人工補正具や人工乳房。「よりリアルに、より美しく」を追求して、開発された。

自分の「分身」になるような製品を

写真の「手」を見てほしい。少しぎょっとしてしまうほど リアルで“偽物感”がない。もし途中で切れていなければ、本物ではないと見破る方が、難しいだろう。
爪も生えていれば、しわや血管、骨の感じまで見事に再現されており、指紋まである。男性の場合、本人の毛をとって植え付けることもあるそうだ。使用する人に合わせ、色だけでなく、質感や肌むら、ホクロやシミまで、丁寧に調整していく。

どんな特殊な技術を使ってつくられているのかと思って尋ねると、写真右側、型をとってつくった透明なシリコーンゴムを内側から、人の手で丹念に色を重ねて着色していくことで、左の「本物のような手」をつくりあげるのだと言う。なんとまったくの手作業なのだ。複雑なものだとつくるのに2、3カ月を要するというのも、製品を手に取ってみれば、納得できる。

これらの製品をつくっている「メディカルアート研究所」は、本社から車で3分ほど離れた別の建物にあり、機械の音が響く本社とはうってかわった静かな環境で、義肢装具士のみなさんがもくもくと作業していた。話を聞くと、緻密な作業が要求されるため、色をつける道具は、それぞれ市販の道具を自分で削ったり、曲げたりして、1本1本カスタマイズしているそうだ。だんだん製品というより、「アート作品」をつくっているように思えてくる。実際、美大を出てここで働くことを志望する人もいると言う。

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道具の一部。同じように見えるが、角度や太さなど、1本1本違う

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何種類もの絵具を混ぜて、色をつくっていく

機能だけじゃなく、心も支える

このシリコーンゴムによる人工補正具や人工乳房は、中村ブレイスが独自に開発したもの。医師は介さず、カウンセリングから、製作、調整まですべて自分たちで行う。

そもそもの開発のきっかけは、シリコーンゴムで、インソールなどの製品をつくるうちに、この素材の可能性を生かし、機能面だけでなく、「身に着けると気持ちが晴れるような装具をつくれないか」と思ったことから。まず乳がんで乳房を失った人のための人工乳房の開発からはじめ、そこから、指や手などに製品を広げていった。いまでは、体のさまざまな部位を製作している。製品への徹底したこだわりは、たとえば人工乳房は、湯上がりにほんのり赤みを帯びるように研究を重ねた、といったエピソードを聞くだけで、想像することができる。

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昨年4月に入社した彼女は、メディカルアート研究所で働きたくて中村ブレイスを志望した

「使われなくなったことも、うれしい」

義肢装具士が把握しているのは、どんな製品をつくるか、ということだけではない。「これは不発弾を戦後触られて、指を失ってしまった方の指です。4年前につくって、少しちぎれてしまった部分があるので、修理してほしいと依頼を受けました」。作業中の職人さんに尋ねると、“指の持ち主”の話がすらすらと出てきた。

いつ、どういった経緯で指を失ってしまったのか、どうして製品をつくりたいのか、その人の思いまで聞いた上で義肢装具士は、製作にあたる。作業台の上にある1つひとつの手や指の後ろには、1人ひとりの人生が流れている。

中村ブレイスのことを紹介した本『コンビニもない町の義肢メーカーに届く感謝の手紙』中に、ある義肢装具士さんのこんな言葉が載っていた。

「中学生のときに耳をつくった少年からは、その後もずっとお手紙や年賀状をいただきました。何年かたってから、『今は、耳を着けずに生活をしています。友達が『ないのが君だ』って言ってくれました』というお手紙をいただきました。自分が作った製品を使っていただくのは、もちろんうれしいのですが、周りの方々の理解があって、使わなくてすむようになったというお話を伺うのも、うれしいですね」。

自分がつくった製品が、使われなくなったことまで喜ぶ。最初に教えてもらった「義肢装具づくりは、単純なモノづくりじゃない」という言葉を思い出した。

※『コトノネ』21号の特集で、中村ブレイス株式会社の取り組みをご紹介しています。

写真:山本尚明