障害者を中心に、農業と「働く場」が、広がっていく――有限会社「岡山県農商」と、板橋完樹さん(後編)

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芋掘りをする障害者の姿を見て「これなら一緒に働ける」と、障害者雇用に乗り出した「岡山県農商」。障害者を中心に、事業がだんだんと広がっていった。

水害を転機に事業を拡大

1997年に行った「芋掘り会」をきっかけに、そこから少しずつ、障害者雇用を広げていった。同時に、事業も緩やかにではあったが右肩上がりの成長を続け、農地も少しずつ増えていった。「続けていると、必ず見ている人はいて、農地を提供してくださったり、力を貸してくださるんです」。そんな岡山県農商に、再び大きな転機が訪れたのは、1998年のこと。岡山県を大きな水害が襲った年だ。「この付近の農地は、軒並み水をかぶってしまいました。うちはたまたま土を盛って地上げをしていたということもあって、水に浸からなかった」。岡山県農商がある中原地区は、県の中でもネギの産地として知られる。水はけがよい土地柄がネギに向いていることが理由だが、その中原地区が水害で壊滅的な打撃を受けたことで、ネギの生産量は激減し、結果的にネギの相場は大きく上がった。岡山県農商はこの年、生産量も売上高も、大きく伸ばすことになった。板橋さんは、これまで個人事業でやってきた岡山県農商の法人化を決意する。目的は、板橋さんが農業をはじめる時から考えていた「組織として人が働く農業」を実現すること、そして、障害者雇用をもっと拡大することだ。「障害者を本気で雇用しようと思ったら、事業の規模を大きくしなければいけない」。それまで一緒に働いてきて板橋さんが感じていたのは、あれこれといろいろな作業をやるのではなく、長時間同じ作業をやってもらう方が、障害者にとっていいのではないか、ということだった。「この作業がすんだら次はあれ、その次は、と言われたら、パニックになってしまう人もいる。詰め込まないほうがいい」。

法人化することで大きな利益をあげよう、というよりは、組織化を進めることで、収益と事業を安定させ、継続的な仕事と雇用を生み出そうとした。そのことが、障害者の働く場を生み出すことにつながる。「それまでは個人事業でやっていましたけど、法人化したことで、責任は重くなったと感じました。やめるわけにはいかなくなった。だからといって基本的なやり方が変わるということはありませんでしたが、とにかく1人でも2人でも障害者雇用を増やしていきたい。そのために作付面積を増やしていかないと。その積み重ねでやってきました」。気づけば今では、岡山県農商の作付面積は約10ヘクタールほど。まったくの未経験からスタートした四半世紀ほど前と比べると、およそ200倍ほどの面積になった。

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NPO法人を立ち上げて、行政や企業と連携

さらに2008年に、「NPO法人岡山自立支援センター」を立ち上げた。それまでは岡山県農商で行っていた障害者雇用を、自立支援センターに集約し、岡山県農商から農作業を業務委託する形にした。そのことで、障害者雇用はさらに加速した。2009年に「ももっ子おかやま」、2010年に「ももっ子みつ」、2012年に「きびっ子おかやま」をそれぞれ開設した。ほぼ1年に一つのペースで、事業所が増えていった。「NPO法人を立ち上げたことで、あそこは障害者を雇用した事業をやっている、と、地域により広く伝わるようになりました。そのことが、新たな人や組織とのつながりを生んでいます」。

2013年に開設された「ももっ子くめなん」は、岡山市から車で30分ほど北の久米南町にある。「町の要請をいただき、企業誘致の形で久米南町に開設しました。町からはさまざまな形で支援いただいたり、また新たな取り組みの相談をいただいたりしています」。例えば町の庁舎があった土地が空いているから、グループホームをやりませんか、と持ち掛けられ、定員20名のグループホームを立ち上げたことも、一つの事例だ。

シングルマザーも、農業に呼び込む

「農福連携、とみなさんおっしゃいますが、私にはまわりにそういう形にしていただいた、という実感もあります」。自立センターを立ち上げたら、農業分野での障害者雇用の事例として、行政や企業の視察・見学が増えた。人とのつながりができ、相談や引き合いが増えた。そうなると、自然と事業展開も、一つの方向に向かっていく。「やはり、農業だけでは、厳しい。利益を確保し事業を継続することだけでも大変ですし、ましてや規模の拡大なんて、なかなかできるものではない。そこで、農業と何かを組み合わせていく。例えば、農業と観光を組み合わせ、観光農園としてやっていく方もいらっしゃるでしょう。私たちは、農業と福祉と組み合わせて事業展開している。たまたま農業に障害者雇用を組み合わせたことで、注目もされたし、事業にとってもプラスになった」。

板橋さんは、農業を軸に、障害者から、さらに「働く場」が広がっていくことを目指している。「特にシングルマザーに、貧困の課題がある。今後は農業分野での、母子家庭の母親の雇用にも取り組みたいと思っています」。NPOを立ち上げ、託児サービスを提供しながら、シングルマザーにも働きやすい環境を提供しようというのだ。ゆくゆくは役務を企業に提供しようという目論見もある。「企業も、一人だけ雇用したのでは、こどもの病気など、不意の事態で休まれたりしたときに大変かもしれませんが、何人かのシングルマザーを集めて組織化すれば、働きが計算できると思うんです」。

「組織的な、人を雇える農業がしたい」という板橋さんの思いは、芋掘り会での障害者との出会いによって形になり、実を結んだ。もしかしたら、それは当初思い描いていたものとは、少し違った形なのかもしれない。しかし、障害者と出会ったことで、岡山県農商には事業の「強み」が生まれ、地域や企業とのつながりが生まれ、そこから新たな事業展開が生まれ、大きく広がろうとしている。

※2016年5月発行の『コトノネ』18号に掲載された記事を再編集しています。

写真:河野豊