映画監督と、会社員。牧原依里さんの二足のわらじ(前編)

映画『LISTEN リッスン』共同監督/博報堂DYアイ・オー社員  牧原依里さん

 

昨年公開されると、徐々に上映館数が拡大、話題となった映画『LISTEN リッスン』
全編音は一切なし。観客には耳栓が渡され、雑音すら聞こえない状態で、スクリーンと向き合う。映画のテーマは、「聾者の音楽」。前代未聞の「無音の音楽映画」だ。

監督の牧原依里さんは、生まれたときから耳が聞こえない聾者。博報堂DYアイ・オー(博報堂DYグループの特例子会社(※1))で働きながら、約2年かけてこの映画を制作した。

二足のわらじを続ける牧原さんに、いまの仕事について、そして映画について話を聞いた。

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「聞こえる世界」が、別世界みたいに思えた

―まず、子どものころの話を少し教えてください。牧原さんは小学校の途中で、聾学校から普通学校に転校されたんですよね?

牧原
はい。転校した理由はいくつかあるんですが…。その中の理由の一つとしては、わたしの家族はみんな聾者なんですが、姉だけ難聴で、少し聴こえるんです。それで姉は聞こえる学校に行っていて、それがすごく新鮮な感じがしたんです。「どこへ行ってたの?何をしたの?」ってよく訊ねていました。姉だけ、知らない世界から帰ってくるような、そんな感じがして…。そういう世界があるんだ、自分も入りたいな、と思ったのがきっかけです。

―学校生活はどうでしたか?

牧原
たまたま、わたしの場合は環境がよくって。みんなが指文字(※2)を覚えてくれたので、声は使わずに、コミュニケーションは全部指文字でしていました。実際には指文字は、日本手話(※3)とは違うので、わたしもわからなくて、友達といっしょに覚えたんですが。それで高校へ行って、大学では臨床心理学を学びました。人間とは何かっていうことに、興味を持っていたんです。

大学の授業は聞こえる学生が隣に座って、先生が話す内容を文字で書き起こしてもらうノートテイクを通して学びました。入ったときはそういう情報保障がなくて、自分からお願いをして、やってもらえることになりました。

―自分から動かないと、ダメだったんですか?

牧原
はい。ほんとは手話通訳を希望していたんですが、金銭的にハードルが高くて…。でも3年、4年でグループワークが増えてくると、手話通訳の人がいないと難しいことも増えてきて、少しずつ通訳の方にも来てもらえるようになりました。最終的には大学もすごく協力的になってくれて、感謝しています。

就職活動は4年生の夏ごろにはじめました。将来どうしようと思っているうちに、そんな時期になってしまっていて…。ほかの聾者たちも就職活動をはじめていたんですが、わたしはそのときに「働く」ということに全然実感が持てなくて。社会で働くということが、自分とあまり結びつかないような気がして、働くイメージがつかめなかったんです。

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「社会の中で働く」というイメージがもてない

―働いているイメージがつかめなかった。

牧原
親は働いていたんですが、なんというか、自分の聾の友達や先輩など、周りの人たちを見ても、がんばっても上に上がれる感じがしなかった。社会の中で障害者が働くっていうときに、みんなと対等というよりは、やっぱり少し劣っている感じがしました。耳が聞こえないとコミュニケーションが難しいので、いまの社会の中では、やっぱりキャリアの積み重ねもできないんじゃないかなって、思っていたんです。

ただ、そうは言っても就職はしなくちゃと思って、ようやく遅れて就職活動をはじめました。

―実際に就職活動をはじめられて、どうでしたか?

牧原
やっぱり難しかったですね。就職活動っていうと、自分の価値をアピールしないといけないけれど、そもそもどういう風にアピールしていいのか、またその会社と自分の間の関わり方にイメージがつかめなくて、漠然としていました。でもいくつか会社の見学や面接を受けるうちに、博報堂DYアイ・オーを知って。最初に来たときにいいな、と思ったんです。

―どういうところがよかったんでしょう。

牧原
はじめて来たとき、筆談しようと思ったら「手話はできないんですか?」って聞かれて。
それまでまわった会社は「自分は聾者です、筆談でお願いします」と、書かなくてはいけなかったけれど、ここは手話で話してもいいのか、っていうのが衝撃的で。
面接で聞かれた質問もすごく、印象に残っているんです。

(中編に続く)

※1 特例子会社
企業が障害者の雇用を促進する目的でつくる子会社のこと。障害者雇用促進法は従業員50名以上の民間企業に対して、全従業員の2.0%以上は障害者を雇うよう義務づけているが、特例として、事業者が障害者のために特別に配慮した子会社を設立し、一定の要件を満たした上で厚生労働大臣の認可を受ければ、その子会社の障害者雇用数を親会社および企業グループ全体の雇用分として合算することが認められる。

※2 指文字
指をいろいろな形に組み合わせて、文字の代わりにする符号。

※3 日本手話
日本の聾者が主に使う言語。文法や語順も日本語とは異なり、手の動きだけでなく、顔の表情、目の動き、首の動きなども言葉としての意味を持つ。一般的に手話と言うとき、この日本手話のほかに、日本語の文法や語順をそのまま当てはめた「日本語対応手話」がある。