【超・幻聴妄想かるた、できました 新澤克憲】第14回 僕らはみんな生きている(その8)  名前を書く

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夜中に名前を書く

ショートステイに出かける88歳の母の持ち物を準備します。

靴下や下着に寝巻などの衣類や歯ブラシに歯磨き粉、ちょっと暑い日に備えてタンクトップ。寒いかもしれないから長袖も、と揃え始めると荷物はみるみる増えていきます。

母は昨年の夏あたりから持病が悪化し、現在は在宅で様々な福祉サービスを使って生活しています。

私も、他の家族と交代で泊りこんでいますが、それぞれの仕事が忙しかったり、母の調子が良くない時には、スケジュールも体力も一杯になってしまうのです。

ちょっと介護環境を整えたり、新しいサービスの導入の準備のための時間が必要で、その間にショートステイに行ってもらうことにしました。

「全部、自分たちで抱え込まずにサービスの力を借りてもいいんですよ」というのは、障害・高齢を問わず、福祉の支援者の決めセリフですが、相手が自分だとちょっと言いにくいものですね。まだまだ大丈夫と自己暗示をかけて先延ばしにしているうちに袋小路にハマってしまいます。気がつくと、すでに手一杯の生活の中で、ショートステイの申し込みや準備のための買い物の時間を確保することすらできなくなってしまいました。それで、深夜の名前書きとなったわけです。

持ち物に名前を書くことは、メンバーたちの入院の時には時々、やらせてもらいます。ジャージやTシャツを購入して名前を書いて差し入れに行くのです。それでも、メンバーたちの名前を書くのと、自分と同じ苗字を書くのとは、ちょっと違いますね。

かつて、母が私の持ち物に名前を書いて幼稚園や学校に送り出してくれたことを、次には保育園に入園した息子にも行い、そして今、母を介護施設に送り出すために自分と同じ苗字を書く。突然の出来事のようでもあり、この日が来ることを、ずっと前からわかっていたような気もします。

老いた家族と共に

ハーモニーのメンバーの平均年齢は50歳代の後半。半数は単身で生活されていますが、家族と同居している人も少なくありません。

家族との同居はそれはそれで苦労もあります。兄弟姉妹がいても独立していたり、父母の方も長く同居しているメンバーたちを頼りにしていたりするので、年齢を重ねるうちに気が付くと両親の介護の担い手になっていた人たちもいるのです。

父母のお世話のために介護保険の手続きをし、ケアマネジャーと打ち合わせをしたり、入院や介護施設の入所のために頭を悩ませる。元々、人づきあいが得意とも言えないメンバーたちが、家族のために奔走するのは、大変そうです。

それでも、彼らは黙々とその役割を引き受けます。朝早く、家族をデイケアに送り出す。ヘルパーのために、洗剤や食材を買っておく。作業所やパートの帰り道に母上の施設に立ち寄り、面会し、おむつを届けたり、洗濯物を受け取って帰ったりします。

友人同士で助け合ったりするのも、こういう時です。友人たちの力を借りて、入居中の施設から外出して、野球好きの母上を東京ドームまで連れて行ってあげたり、食べ物を口にしなくなった時には何だったら食べてくれるだろうかと、相談しあったりするのを見ると、胸が熱くなります。

葬儀の時には作業所の友人たちが普段着で斎場まで駆けつけるのは、珍しくはありません。

人によっては、他のメンバーを煩わせたくないと、私と二人だけで焼き場に向かうこともあります。そんな時には、私の車のトランクにお骨を積んで帰ります。斎場からの長いドライブ。親御さんの若き日のことや、最後の日々の思い出を聞きながら、ゆっくりと車を走らせます。

高齢者施設ではないので頻繁ではありませんが、それでもハーモニーの日常の中には誰かの家族の老いや死が珍しくないものとして、溶けこみ始めています。

煙草を盗む幽霊

一昨年の冬の日。メンバーの金原さんと共にハーモニーに御老人が来られました。冷たい雨の中、買った当初はダンディに見えたに違いない黒い背広と黒いズボンと黒い靴。それがしっとりと雨に濡れた様子には、どこか切羽詰まったものを感じさせました。

2〰3日前、金原さんから、お父上が食事を配食のお弁当を食べてくれないし、食費としてとっておいたはずのお金をたばこ代に使ってしまって十分な食事がとれていないと相談がありました。試しにハーモニーのお昼ご飯を食べてみることになりました。食事ボランティアのTさんにお願いしたら「事情はすっかりわかっているわよ」という顔で柔らかめの食事をメンバーが来るちょっと前の時間に準備してくれました。

Tさんの丹精込めた昼食を残さず召し上がった父上は、それまでデイサービスへの通所を渋っていたけれど「ハーモニーみたいなところだったら行ってみてもいい」とご子息に話したと後からうかがいました。

世田谷の街でそれぞれのアパートで暮らしながら、お互いを案じあってきたお二人でしたが、これまで通りにはいかなくなってきたようです。夜中に幽霊が部屋に入ってきて、自分の煙草を盗んで吸ってしまうと訴える父上のことを話しながら、金原さんは「自分のところにも夜中に宇宙人がやってきたりするけれど、自分ではそれを『幻覚』だとは思ってないんですよ。父のところにやってくる幽霊のことも息子の自分だけは、最後まで信じてあげたいんです」と言いました。彼らしい優しい言葉でした。

コロナの街の片隅で

その後、父上は、在宅サービスをいろいろと試したけれど、なかなか馴染めず、全身の衰えも目立ってきたので、地域の病院に入院しながら、療養型の病院か入居できる施設を探すことになりました。幽霊が見えたりしたのは、「レピー小体型認知症」の症状だったこともわかりました。

コロナウイルスの蔓延防止のために、面会はほとんどできませんでしたが、またお金の無心をされても辛いから会えないくらいが丁度いいんですよと息子である金原さんは言いました。

昨年の梅雨の頃、父上は病院で突然、亡くなりました。昼にはおいしそうにゼリーを食べ、そのあと眠るように亡くなったと聞いています。葬儀には彼の友人たちも駆けつけみんなでお見送りしました。

「もし、コロナがなかったら、父は地方の病院か施設に行ってしまったはずだと思うんですよね。東京に残っていられたのはよかった。少ない機会だったけれど、何回かは面会し、呼吸が止まってすぐに病院に駆けつけたりできたのも、父が東京の病院にいてくれたらです。そう考えると自分も幸運だったかもしれないと思うんですよ」と金原さんは教えてくれました。

息子たちの日々

今では、同じ年代のメンバーたちは、私のよき相談相手です。私を含めて5人ほどの50代〰60代の男性が、ここ数年の間に家族の介護や見送りを経験しています。何人か集まると「親を在宅でみていて限界だと思ったのはどんな時か」などと介護談議が始まり、私は先輩たちの体験に耳を澄ませます。

「親が徘徊して探し回った時」「親がお金をうまく使えなくなった時」「トイレの失敗が多くなった時」などなど。実感の伴った言葉が続きます。

私が「夜、何度も呼ばれて起こされているうちに、すっかり不眠になったみたいだ。さすがに60歳を超えた自分には深夜の介護はきびしい」と愚痴っていたら、メンバーのお宅にヘルパーに入っているSさんがサプリを勧めに来てくれました。彼もまた、最近、自宅で家族を見送った一人でした。

「障害」については、ずっと考えてきたつもりでしたが、隣(?)にあった「老い」については、私は60歳になるまで、とんと無頓着でした。

今の時代に「老いる」とはどういうことなんだろう。最近、そんな問いが頭の中を回っています。子供の頃に思い描いた「老い」とは、少し違う。少し予想が外れた気がします。社会の中で老いていくとはどういうことなのか。それはこれからすこしずつ考えていたいことの一つです。

そして現在のパンデミックの状況下では、人の死をめぐる諸々のことは、どんなふうに変わっていくのだろう。

母は一週間のショートステイを終えて楽しげに帰ってきました。私は、また実家に泊まり込む日々が増えてきました。母は最近、疲れやすいのか熟睡してくれることが増えました。夜起きて呼ばれることがなくなったので、Sさんのお勧めサプリはあまり減らないままです。

(了)

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新澤克憲
1960年広島県生まれ。精神保健福祉士、介護福祉士。1995年よりハーモニー施設長。

就労継続支援B型事業所ハーモニー
東京都世田谷区にあるスペース。リサイクルショップ、ものづくり、公園清掃ほかさまざまな仕事を行っている。現在、30人ほどが利用している(2019年)。1995年に精神障害のある人たちが集う「共同作業所ハーモニー」として開所。2006年にNPO法人化、2011年に就労継続支援B型事業所に移行。

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※新澤克憲さんのコラム「超幻聴妄想かるた、できました」は今回で、おしまいです。