【超・幻聴妄想かるた、できました 新澤克憲】第12回 僕らはみんな生きている(その6)  緊急事態宣言の日々に

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母と息子

その女性は、その毅然とした様子から、遠くからでもはっきりと見つけることができました。往来で遭遇すると、丁寧に頭を下げてご挨拶をしていただきました。小柄で少し前かがみに歩くところは、ご子息にどこか似ています。
ご子息のkagesan(かげさん)は通所を始めて、10年ほどになるメンバーです。(自分で「かげさん」と名乗っていらっしゃるので、そんなふうに呼ぶことにしました)
「物腰が柔らかくて優しい貴婦人」というのが私の母上の印象でした。kagesanにそれを伝えたところ、彼は苦笑しながら「若い頃は女優になりたかったらしいです。でも、母は自分を曲げない人ですよ」と教えてくれました。
kagesanは「時間つぶしですよ」と言いながら、ハーモニーで一日過ごしていたりしていましたが、聞いてみると母上から閉め出されるらしいのです。「『イライラするから、あなたはウチにいないで』なんて言われちゃうと早くから家を出かけなくてはいけないんですよ」というのです。それでも、母上に呼び出されて買物の荷物を持ったり、母上の体にいいと「天然水」を電車に乗って買いに出かけるのでした。「おつかいお疲れ様!」とスタッフは声をかけましたが、「慣れちゃいましたよ」とkagesanは笑っていました。

母上が足を痛めた時、ケアマネージャーやkagesanが説得しても、病院に行ってくれなかったことがありました。昔、入院した時のことが辛い思い出となっていて、病院に行くことが苦手になってしまったということでした。在宅支援のスタッフに薬を塗ってもらい続けて、1~2年かかって通院せずによくなった時には、その間の話を聞いていた私もうれしい気持ちになったのでした。

私にも同じような年代の母がいます。80歳を過ぎた親との日々は、心の中で楽観と悲観のせめぎあいかもしれません。何事もなく過ぎていった昨日は、明日の平穏を約束してはくれません。離別の予感を心に置きながら、愛着も葛藤も落ち着く先を見つけられないまま、時は静かに、でも確実に過ぎていきます。

数年の間にハーモニーでも老いた家族を見送る人たちが増えてきました。入院・入所中の親の洗濯ものを取りに行き、老健の利用期限を気にかけ、ケアマネージャーに相談の電話を入れます。家族と同居中であれば、親のヘルパーの手配をします。メンバーたちもそれぞれです。若い頃に苦しめられていた精神科の症状も穏やかになり、家族のことを気にかける余裕が出てきた人もいれば、自分の病状も安定しない中、親の変化に戸惑い、休む間もなく介護保険の制度を理解しようと頭を抱える人もいます。

緊急事態宣言のさなかに

昨年12月に報告された肺炎は、「COVID-19」(新型コロナウイルス感染症)と名付けられ、世界中に拡散し、私たちの生活にも大きな影響を与えています。世田谷区は人口の多さもあって感染者も多く、私たちは利用者、ボランティア、スタッフの安全を考慮し、4月6日から所外活動と在宅支援を組み合わせた独自の『コロ休み』を開始しました。
https://note.com/harmonysetagaya/n/n26d61c1106a0

その『コロ休み』が始まって1週間後のことです。電話やメールでのやりとりを続けてきたkagesanから母上が亡くなったという知らせが入りました。すぐには会うことはできず、彼と会えたのは5月になってからでした。
このコラムでコロナウイルスの自粛期間中にメンバーのみんなが体験したことを紹介したいと思っていると伝えると、kagesanは協力を申し出てくれました。そして、次のような家族と母上の話を聞かせてくれたのです。内容はkagesanと相談の上、個人の特定ができない程度に変えています。

kagesanの話

「僕は他の区で生まれたのですが、3歳になる前に、世田谷に引っ越してきたんです。昭和40年代に父が新築のマンションを買ったんです。月収10万の時代です。当時はロビーにソファーが置いてあったりして、おしゃれだったな。

父は亭主関白でした。家族が意見を言っても反論を許さないところがありました。母の方は息子の僕が言うのもおかしいですがずいぶん変わっていました。
高校には5年半通いました。リーゼントで赤く髪の毛を染めていました。ガソリンスタンドなんかで働いで、HONDAのCBXを買いました。熱海や千葉方面にツーリングに行きましたよ。そんな子供でした。人より遅く高校を卒業して、家を出ての一人暮らしです。給料は車につぎ込んで改造費用に充てました。シャコタンでマフラー替えて。でも、警察につかまったりはしなかったですよ。

人生が変わったのは、事故で指を痛めてからです。力仕事が全くできない。スピードを求められる作業にはついていけない。そんなわけで仕事は、いびり出される形で辞めることが多かったですね。
一時は実家に帰ったのですが、親子3人の意見が全く合わなくていたたまれなくなって、家を出て、何年もカプセルホテルを泊まり歩きました。
それから37歳で統合失調症を発症するまでは、本当につらかった。仕分けやスーパーの宅配やファストフードのデリバリーなどを点々としました。3日行って1日休むというペースで働き続けたこともあります。

当時は、外の世界のほうがおかしいと思っていました。知っているはずないのに、周りが僕の過去を知っていると思い込んでいたりしました。それで、会社の常務に勧められるままに受診し、診断名がつきました。といっても、精神科病院にかかるまでは実家のそばの内科で軽い眠剤と安定剤をもらっただけでした。入院したくてもお金がないからと許してもらえなかったのです。
40歳の頃、ハーモニーに出会いました。ホッとしました。同じ悩みを抱えた人と出会えたのがうれしかったです。それまでは、世界で一番不幸だと思っていたんですね。守ってもらいたくて警察に駆け込んで牢屋に入れてくれって言ったぐらいですから。

自分の事ばかりになってきたので、母の話にもどります。
絶対に認めなかったけれど、母は精神病だった気がするんです。
独り言が止まらなかったり、壁に字を書いたり。でも、僕はそのことで辛くはなかったです。大変だったのは、医者に行ってくれなかったこと。
若い頃の出来事が原因で病院が信じられなくなって、最近は民間の治療院の先生の言うことしか聞かなかった。
そんな母なので肺炎になっても、治療を同意してくれなかったんです。ずっと微熱が続いても、薬飲まないのでよくならない。でも去年の11月に高い熱が出て、救急車に乗ってもらって入院しました。病院で調べてもらったら、腰の骨も折れていました。
これで、治療してもらえると思ったのも束の間、母は病院での治療を拒みました。輸血も手術もいやだというので、入院しても十分な治療は受けられません。

そしてコロナウイルスが迫ってきました。2月29日のことでした。すでに病院ではコロナウイルス感染防止のために入院患者に面会することは禁じられていました。母はもちろんコロナではないけれど、もう母には会えないかもしれないという予感があって、看護師さんを振り切って、母の枕元まで行きました。母に会えたのはおそらく1~2分の間でした。『おかあさん、コロナが流行っているから、3月いっぱいは会いにこれないよ』と言った僕に母は『冗談でしょ。今度は3月3日でしょ』と返事をしてくれました。それが母と交わした最後の言葉になりました。

結局、面会制限は3月末になっても解けることはありませんでした。
母は、4月の15日に亡くなりました。その日になって病院から連絡がありました。
母との最後の日々を、コロナウイルスによって奪われたような気がして、悲しい気持ちになります。もう少し、母ともっと面会できたら、説得して治療を受けてもらえることが出来たかもしれない。できなくても、もう少し、いっしょにいたかった。話をしたかった。僕は両親を3年の間に相次いで亡くしました。外から帰ってきて、ただいまと言っても、お帰りと言ってくれる人が誰もいないのです」

当たり前の毎日

kagesanは母上と暮らした日々をゆっくり時間をかけて話してくれました。
家族の看取りに精一杯の力を尽くしたkagesanの前に、最後に立ちはだかったのがコロナウイルスによる面会制限でした。私は素人ですが防護服やフェイスマスクや窓越しの面会などを利用して、もっと家族の別れをサポートすることはできなかったのかと悔しい気持ちになります。それとも、これからはkagesanのような家族の別れが当たり前になるのでしょうか。
母上の入院中、深夜になると、眠れないままにkagesanはショートメールを私宛に送ってくれました。心配な気持ちを短文にまとめた報告でした。
私は迷いながら「kagesanのマンションの窓から見える夜空をきっと母上も病院から見ているにちがいないよ」と返信しましたが、今も、どんな言葉をかけたらよかったのだろうと考えることがあります。

(了)

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新澤克憲
1960年広島県生まれ。精神保健福祉士、介護福祉士。1995年よりハーモニー施設長。

就労継続支援B型事業所ハーモニー
東京都世田谷区にあるスペース。リサイクルショップ、ものづくり、公園清掃ほかさまざまな仕事を行っている。現在、30人ほどが利用している(2019年)。1995年に精神障害のある人たちが集う「共同作業所ハーモニー」として開所。2006年にNPO法人化、2011年に就労継続支援B型事業所に移行。

ハーモニーのコロ休み特設ページ
コロナウイルスによる東京での陽性患者数が1194となった4月7日、ハーモニーは通所を休止にし、所内での活動を見合わせることにしました。 このページは、その『コロ休み』の間とその後の私たちの記録です。

●さよならコロちゃん缶バッチ
新型コロナウイルスの影響で自宅待機を余儀なくされているハーモニーメンバーが得意な「描くこと」を生かして制作した缶バッジです。
メンバーそれぞれの新型コロナウイルスに対する思いや考えを「さよならコロちゃん」と題してデザインしてくれました。
【さよならコロちゃん缶バッチ1】https://harmony1.theshop.jp/items/29180583
【さよならコロちゃん缶バッチ2】https://harmony1.theshop.jp/items/29807894
kagesanの作品は2の方に掲載されています。

harmony

バッジには直筆で
「コロナじゃないけど(コロナが原因で)、入院していた母、めんかいできなくて命をうばったコロナがにくい!!  さみしい」
という言葉と亡くなった直後の日にちが書かれています。