【超・幻聴妄想かるた、できました 新澤克憲】第11回 僕らはみんな生きている(その5)  小さなタバコ屋

0001 (22)

良太さん

良太さんは睡眠が安定しませんでした。
一日中、眠たくてだるい事もあれば、夜中に目が覚めてしまい、疲れがとれないまま朝を迎えることもあります。いろいろ工夫はしてみたものの、生活のリズムが一定しないので困っていました。その頃は早朝の3時には起きるのが日課でした。
ハーモニーがまだ、図書館の近くにあった頃、良太さんは通所を始めました。夜中に動き回っていると家族に叱られるので、朝早くにウチを出るようにしていました。それで職員がくるまで数時間、ハーモニーの前で待っています。当時のハーモニーは住宅街にあって、付近には時間をつぶす適当な場所がありませんでした。建物の壁にもたれてタバコを吸ったり、自販機でコーヒーを買って飲んだりしてもなかなか時間は過ぎていきません。
そんな時、ご近所の人たちが良太さんに声をかけてくれました。朝早くから仕事をしている隣のマンションの管理人さんが管理人室に招きいれてお茶を振舞ってくれたり、小さな用事を頼んでお小遣いをくれたりしました。また、タバコ屋さんも気にかけてくれていて、店先に一時間ばかり座って、煙草を燻らせることのできる椅子を出しておいてくれました。10代に発症して50年近い年月、自宅と病院とデイケアや施設の往復の日々の中で、誰かと親しい関係になったことがないと聞かされていたので、良太さんが街の人たちとそんな関係を持っていたとは意外でした。後から聞いた話では、良太さんには義理固いところもあって、道端のアジサイをハサミで切り取って、お世話になっている人たちに配ったりしたのです。アジサイには、きっと持ち主があったとは思うのですが昔の話です。時効だと思ってご容赦くださいね。

その後、ハーモニーは移転し、当時のご近所とは疎遠になりましたが、何かの機会にお会いすることもありました。今回の良太さんとタバコ屋さんの話もそんな話のひとつです。

_mg_9054
photo:齋藤陽道

図書館のそばの

ハーモニーが中央図書館の傍の竹林のところから、現在の駅前に引っ越してきて2年ほど経った冬の話です。いつものように、みんなでギターやキーボードを弾いたり、歌を歌ったりしていると、入り口のガラス戸を大きな音を立てて入ってきた人がありました。それが誰であるかを判別するまでには、少しの時間が必要でした。ずいぶん痩せてはいましたが、以前にお世話になっていたタバコ屋のご主人でした。
タバコ屋は、引っ越し前のハーモニーから数十メートル離れた雑居ビルの一階にありタバコと駄菓子、ちょっとした日用品を扱っていました。その当時は、ご主人も奥さんも60代半ばだったでしょうか。通りかかると、ちょっとびっくりするような大声で、「おはよう!」と挨拶をしてくれる気さくなご夫婦。もちろん、ヘビースモーカー揃いのメンバーたちですから、ハーモニーはいいお客さんだったには違いありません。タバコだけでなく、それぞれがお腹がすくと、菓子パンやアイスクリームを買いに行きました。喫煙者だった私もピースを買いに出かけ、店先でご夫婦と世間話をするのが楽しみでした。肩幅の広く、一見、怖そうだけど優しいご主人と、小柄で明るい奥さん。
「ちょっと聞いてね。良太さんが今日、8本目のコーラを買いに来ていたよ」と奥さんが耳打ちしてくれたおかげで、水分の摂りすぎに気づいたり、大雪の日には、一緒に雪かきをしたり、町内会長に引き合わせてくれたり、駆け出しの施設長だった頃から、支えてくれたご近所さんでもありました。
ハーモニーが移転をした前年のある日、救急車がタバコ屋の前に止まっていました。ご主人が脳梗塞で倒れたのです。数か月の後に車椅子に座って帰ってきたものの、それからは、ご主人の姿を店先で見かけることはなくなりました。
移転後は、偶然、図書館のところで遭遇したことがありましたが、奥さんに付添われて、坂道での歩行練習中のようでした。歩行と発話が思うようにならず、イライラして奥さんにあたっているご主人を見るのが辛くて、あいさつもそこそこに急ぎ足で立ち去ってしまったのが、最後になっていました。

再会

冬の事です。そのタバコ屋のご主人が、2年ぶりに一人で訪ねてきてくれたのです。四点支持の杖をついて、厚手のコートを着て、息があがっていました。外はずいぶん寒くて、頬は紅潮していました。メンバーたちも何事かと集まってきます。
再会の挨拶もそこそこに、ご主人は話し始めました。しかし、「おかあさんが」、「おかあさんが」とは、聴こえるのですが、上手く聞きとれず、何度も聞きかえしました。「おかあさん、びょうき、りょうたさん」という言葉はかろうじて分かりました。御主人は思い出したように、娘さんの電話番号が記された一枚の紙をとりだしました。
娘さんの話によると、奥さんはご主人の倒れた後もお店を続け、家事やリハビリと忙しく動き回っていたのですが、ひと月前、ご主人と同じ病気で倒れたこと。発作の程度は、ご主人より重く、一命はとりとめてICUから個室に移ったものの、回復がどこまで見込めるのかわからないということでした。
とりあえず、ご主人にコートを脱いで一息ついて、ほうじ茶で身体を温めてもらいました。私は、電話で娘さんから聞いた話を繰り返しました。
「それで…奥さんが良太さんに会いたいとおっしゃってるのですか?」
ご主人は、「おかあさんがね、りょうたさん、会いたい会いたい、言うんだ」とゆっくり話しました。奥さんがリハビリを経て、初めて発したのが「りょうた」という言葉で、本人も会いたがっているので施設長の私に良太さんを連れて見舞いに行って奥さんを元気づけて欲しいということだったのです。
翌日、良太さんにタバコ屋のご主人の話をしてみました。良太さんは、「えっ」としばらく、固まっていました。拒否的とは言わないまでも、人との関係を避けるところがある彼にとっては「会いたい」という申し出は、困惑するようなことだったのかもしれません。つづけて3本ほどタバコを吹かした後、行くよと返事をくれました。

病院へ

数日後の夕方、良太さんと私は病室を訪ねました。白い大きな個室でした。お花は迷惑かもしれないと、ハーモニーの自主製品の中から、カレンダーと絵葉書を選んで持って行きました。奥さんはピンクのパジャマ姿でベッドに横たわっています。病室には「ほら、おかあさん、ほら、おかあさん。りょうたさん!」とご主人の声が何度も響きました。
15分ばかりの面会時間の間、良太さんと私は何度も奥さんの手を握り、ご主人に促されて「上をむいて歩こう」や「ぼくらはみんな生きている」を小さな声で歌いました。ご主人は奥さんの名前を呼び「よかったなあ」と何度も言いましたが、私にはとても長い時間のように感じられました。

駅への帰り道、珍しく良太さんが話しかけてくれました。
「先生…」、彼は私のことを先生と呼んでいました。
「奥さんがたくさん笑ってくれてよかったス」
私は一瞬、かえす言葉を失いました。そうか、笑ったか。
私は病室での風景を思い出していました。奥さんの目は開いていましたが、視線はのぞきこんだ私と良太さんを素通りして、病室の天井を静かに見つめているように感じられました。口から洩れるのは規則正しい呼吸の音だけのように聞こえました。
そうか、笑っていたか。
「笑ってましたか?」
「はい。笑っていました」
私は、何か置いてきぼりをくらったような気持ちで、電車の窓の外を見ていました。

46800
photo:齋藤陽道

ひび割れた壺

その後、私がタバコ屋のご夫婦に会うことはありませんでした。その年のうちに店は裏の竹林と共に更地となり、今では駐車場の広いコンビニが建っています。良太さんも数年後にはハーモニーを辞めていきました。発作が出るようになり外出先で意識を失うことが増え、すっかり外にでる意欲がなくなってしまったとご家族からうかがいました。

今でも時々、あの病室での時間を思い出すことがあります。本当にあの病室での光景はなんだったのだろう。タバコ屋のご夫婦も良太さんとも、もう会うことはないでしょう。凍てつく朝に行き場のない良太さんに束の間の居場所を作ってくれたご夫婦と口数の少ない良太さんの間で交わされた眼差しや言葉がどんなものであったか、良太さんと奥さんが最後に交わした笑顔のことを聞いてみたくても、私のまわりには彼らはいません。

ある場所に交錯していたそれぞれの時間。場所も登場人物も変わっていき、私は自分が、人々に起きた出来事や交わされた言葉を貯めこんでいく壺のような存在なのだと考えてみることがあります。しかし、ひび割れた出来のよくない壺なので、ずいぶん多くの水がこぼれてしまったのは、確かなようです。

<了>

(注:写真の人物と今回のエピソードとは関係はありません)

**************************************

新澤克憲
1960年広島県生まれ。精神保健福祉士、介護福祉士。1995年よりハーモニー施設長。

就労継続支援B型事業所ハーモニー
東京都世田谷区にあるスペース。リサイクルショップ、ものづくり、公園清掃ほかさまざまな仕事を行っている。現在、30人ほどが利用している(2019年)。1995年に精神障害のある人たちが集う「共同作業所ハーモニー」として開所。2006年にNPO法人化、2011年に就労継続支援B型事業所に移行。

『超・幻聴妄想かるた』
「幻聴妄想かるた」シリーズの最新作。
購入は以下のハーモニーの注文ページまたは、全国の一般書店からの注文可能です。
現在手にとってご覧になれるのは、東京では、Title(荻窪)、on Sundays(神宮前,ワタリウム美術館内)、3331 CUBE shop&gallery(外神田,3331 Arts Chiyoda内)、タコシェ(中野ブロードウェイ内)、フェリーチェ(喜多見)。そのほかには、鞆の津ミュージアム(広島県福山市)、書肆ゲンシシャ(大分県別府市)、アーツ前橋ミュージアムショップmina(前橋市)、桐林館喫茶室(三重県いなべ市)などです。

※本のみ、かるたのみでも購入が可能です。

ご注文ページ
『超・幻聴妄想かるた(本+かるたセット)』
定価 3,080円(本体2,800円+税10%)

『超・幻聴妄想かるた(本単体)』 
定価 2000円(本体1600円+税10%+発送料)