【超・幻聴妄想かるた、できました 新澤克憲】第9回僕らはみんな生きている(その4)  余生とアップルパイ

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父が53歳で亡くなった時、私は19でした。
自分が54歳になった時、ちょっとした気持ちの変化に当惑したのを覚えています。父はあの世に行ってしまった後も見えないモデルとして、何となく私の選択に影響を与えてきた気がします。仕事に就くこと、結婚すること、子どもを育てること。従うか反発するかは別としても、亡き父の描いた航跡を常にどこかで意識していました。はるか遠くに思えた父の没年を越えるのは、実にあっけなかったけれど、自分がそれを越えてしまうと、どこにでも行けるような開放感と寂しさがありました。
父や母の人生の節目となった年齢を意識してしまうのは、私だけではないようです。

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メンバーの平和(たいらなごみ)さんと出会って15年ほどになります。そのころから既に彼女は「私は45歳になったら、あの世に行くから」と言っていました。理由を聞くと、45歳は「お母さんが私を産んだ歳だから」と話してくれました。さらに重ねて聞いてみても「もういいかなって思ってね」と言うばかりでした。わたしはとりとめもなく“母が自分の産んだ歳から先の自分の人生はいらない”というのは、“母が母として生きた年月を否定する”ということなのか、そして“そもそも自分の生はいらないものであった”いうことなのかと想像していました。

父と母と彼女の3人家族。和さんの父は弁護士で家は裕福でした。しかし家族を顧みない自己中心的な父。その父の行動に苛立った母が自分を精神的にも肉体的にも虐待していたと和さんは言います。和さんは、そんな母の「弱さ」に気づいていたようで、高校に上がる頃には、自分が働くから父と別れて暮らそうと、母を説得したそうです。しかし、母は父との生活を続けることを選び、和さんは上京しました。
上京後は、家族との関係を断って、ガムシャラに働きながら映像メディアを学び、現場の仕事を得ました。後戻りできない悲壮感もあり、楽しさもあったと言います。やがて活動は同人誌の執筆やライターの仕事へと広がっていきました。

そんな張りつめた世界が壊れたのがいつだったのか、彼女自身もよくわからないのです。中学の頃から「世界が狭くなっていくような生きづらさ」を感じていたとはいえ、それが上京後、徐々に大きくなり、日々の生活に翳を落とすようになったのです。
彼女には、記憶が曖昧で混乱している数年間があります。リストカットやOD(オーバードーズ)が始まったのもその数年でした。その間に7回の入院があり、生活保護の受給の開始があるのですが、あまり思いだせず後から人に聞いて記憶の断片をつなぎ合わせていると言います。

そんな混乱に満ちた時期の終わりの頃に私は彼女に会いました。
訪問看護師にうながされ、週1回、ハーモニーまで歩いてやってきました。外出へのプレッシャーからか沢山の抗不安薬を飲み、ふらつきながらやってきて、談話室で僅かの時間、雑談して過ごしました。

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彼女は車が好きで、F1グランプリの話をしたのを思い出します。
彼女にはどこか、「すべては自分の選択でやっていること。人には何も言わせない」という背筋の伸びた「意地」を感じさせるところがありました。2日間一睡もせず、その後24時間眠るという独特の生活パターンや、アニメのDVDに沢山のお金を使い月の半分は栄養剤で過ごす耐乏生活も、両腕いっぱいのリストカットも。眠れないイライラを紛らわせるために飲んだ薬が多すぎて、救急車を呼ばれた翌朝は、帰りのタクシー代がないので迎えに行きました。夜間外来の堅いベンチに横になって待っている、ふてくされた彼女を無言でうながして、車で帰りました。

やがて、作業所も場所が移転し、和さんも作業所の近くの桜の木のきれいなアパートに転居してきました。表向き、彼女の生活も安定してきたようでした。
しかし、45歳が近づいてきたのです。思いとどまるように伝えても「死んだら悲しむ身内がいるわけじゃないし」とつれない返事です。
彼女が少しずつ薬を蓄える特技を持っているのを、彼女の周りの人は知っていたので、8月になって彼女の45歳の誕生日が近付いてくると、これは弱ったなと思ったのです。

訪問看護、ヘルパー、みんな彼女の毎日を息をひそめて見守りました。
保健師は耐えかねて彼女の家にあった余った薬をゴッソリ持ち帰りました。和さんは、ひどく怒っていましたが、大事な薬はしっかり別のところに隠してあるはずだと、みんなも分かっていました。
昔の仕事仲間のオジサンたちは、アパートに庭先までやってきて「死ぬなー!」と叫び、彼女に「うざい!」と言われました。

彼女の精神科のドクターからお電話をいただき45歳の誕生日に入院したほうがいいかなと相談しました。結果、どこにいても彼女の決心次第だし、望まない入院で彼女を傷つける方がよくないということで、入院はなくなりました。
私も特にやることもなく、毎日、アパートのドアをノックし、わざわざ出てきた彼女と話すこともないので「おはよう」と言ってみたりして、煙たがられました。

そうこうしているうちに45歳の誕生日がやってきたのです。
その日は受診日でした。診察室に入ると、ドクター(ピンクのイチゴの模様のソックスを履いてるかわいい女医さんでした)が、誕生日パーティーだねと言って、お手製のアップルパイを焼いて待っていてくれたのです。

私もいただくことができました。あっという間に食べ終わってしまったけれど、とても美味しくて甘いアップルパイでした。
和さんは、「タイミングを失った。あとは余生だわ」と笑いました。
『超・幻聴妄想かるた』のなかにこの時の体験を綴ったものがあります。
「の:45歳の誕生日パーティー 死ぬはずだったのに今も生きている」
アップルパイと45の文字。それから、サムズアップのポーズ。
この絵は和さん自身が描いたものです。

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45歳を超えても、相変わらず彼女の人生は波乱万丈です。
その後、彼女はOD(薬の過剰摂取)で失敗して、足が悪くなり、車椅子に乗ることになったり、結婚して「死んだら悲しむ身内」が出来たりしました。結婚した相手のじゅん氏は、本の好きなインテリ風の青年です。和さんの「45歳で死ぬつもりだったけど、その後は余生」というのは、パートナーとしては、なかなか複雑な気分になるようです。余りの人生で結婚したと言われるのは力が抜けてしまうかもしれませんね。
でも、私は自分自身が持っていた父の没年への気持ち、54歳からの少しだけ解放感のある日々を考えると「余生」も悪くないなと思うのです。みんなが豊かな「余生」を送れるといいですね。

和さんは、現在は、電動車いすを手に入れて、本を担いだパートナーのじゅん氏と共に世田谷の町を爆走しています。

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<了>
写真:齋藤陽道

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10/6(日)、Readin’Writin’BOOK STOREにて「ハーモニーの今宵は幻」、開催!

第2回「創作ハピネス ― こころの病気の芸術家による朗読と音楽と秘密の会議 ― 」
日 時:10月6日(日)19:00~21:00
出演者:石田多朗(音楽家)×益山弘太郎 (詩人)写真協力:齋藤陽道
定 員:20人
参加費:1500円
場所:「Readin’Writin’BOOK STORE」
(東京メトロ銀座線田原町駅から歩いて3分ほど)

石田・益山 2

益山さんはハーモニーの詩人。音楽家の石田さんとは2014年からの友人で、ふたりには「街角のかぐや姫」などの共作もあります。今回のイベントでは益山さんの自作の朗読と石田さんの演奏を楽しんでいただきます。
朗読する益山さんの詩は、新作に加え、写真家の齋藤陽道さんの写真集『感動』(赤々舎, 2011)に触発されて益山さんが書いた作品を予定しています。

<お申込み>
ご参加をご希望の方は、お名前、連絡先を明記のうえreadinwritin@gmail.comまでお願いします。

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新澤克憲
1960年広島県生まれ。精神保健福祉士、介護福祉士。1995年よりハーモニー施設長。
就労継続支援B型事業所ハーモニー
東京都世田谷区にあるスペース。リサイクルショップ、ものづくり、公園清掃ほかさまざまな仕事を行っている。現在、30人ほどが利用している(2019年)。1995年に精神障害のある人たちが集う「共同作業所ハーモニー」として開所。2006年にNPO法人化、2011年に就労継続支援B型事業所に移行。