コトノネだらだら座談会 のぞき見版【7月26日 伊藤敦史さん・須黒弘孝さん】

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7月の座談会に登場していただいたのは、NPO法人日本セクシュアルマイノリティ協会の伊藤敦史さんと須黒弘孝さん。台風の近づく中、20人近い方が集まってくださいました。

日本セクシュアルマイノリティ協会は、すべての性の人が「ここにいたら安心」と思える居場所づくりを目標に、LGBT当事者のライフイベントのサポートや、自分らしく生きるためのイベント開催のほか、企業のあり方を変えるための取り組み、LGBTを取り巻く課題を社会に発信する活動をしていらっしゃいます。前半は協会の活動とLGBTについて、後半はゲイの当事者でもある伊藤さんの体験談をお話しいただきました。

そもそも「LGBT」とは、

L:女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)
G:男性同性愛者(ゲイ、Gay)
B:両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)
T:トランスジェンダー(Transgender)

のこと。

とはいっても、「身体の性(戸籍上の性別)」「心の性」「性的指向」の組み合わせ次第で、いくつもの性のあり方があるといいます。

たとえば、
身体の性も心の性も男性で、男性を好きになる人がいる。
身体の性は女性だけど、男性として、女性が好きな人もいる。
身体の性が男性でも、女性として女性を好きになる人もいる。

これだけ多くのバリエーションがあるなら、「女性」「男性」の二つに分ける方がおかしいような気がしてきます。須黒さんによれば、LGBT当事者の割合は日本の人口の約9%(11人に1人)。これは、AB型や左利きの人の割合と同じ。実は身近にいるのに、いないことにされている。あるいは、「そういう人いるよね」と他人事あつかい。その点では、障害者をめぐる状況とも通じているかもしれません。

伊藤さんは大学生のころ、自分のセクシュアリティを自覚したといいます。きっかけはネット上の掲示板。初めて知り合ったゲイの人と話すうちに「あ、自分はここなのかなと、しっくりきた」そう。それまでは彼女がいたこともあったけれど、友達と恋愛話をするのに合わせて「彼女をつくっていた」ところもある、と振り返りました。そのことで「悩んだりしましたか?」という質問に「いや、悩んではいないですね」と、あっけらかんと答える伊藤さん。では、LGBTの生きづらさって、なんなのか。

伊藤さんが社会人になってからは、「会社でプライベートの話になると面倒なので、周りと距離を置くくせがついた。合コンや風俗に誘われても行きたくなくて、彼女がいることにしたり。それでも長い間結婚しないと、『遊び人』のレッテルを張られたりする」こともあったとか。

また、客席にいらっしゃった日本セクシュアルマイノリティ協会のメンバーからは、「私は今日お化粧をして、女性としてここにいますが、本来の自分は女性でも男性でもないんです。社会的に、女性でいた方が都合がいいからそうしているだけ。10年後、20年後だったら、もっと自分らしく生きていたかもしれない」という声も。別の方からは「親友がゲイだった。ある日の夜うちに来て、『親にバレた』と言ってずっと泣いていた」というエピソードが語られました。

生きやすいように、自分で工夫して社会に合わせている。でも、ありのままの自分ではいられない。その息苦しさが人生につきまとうこと自体が、「性的マイノリティ」と呼ばれる人の生きづらさなのではないかと感じます。

最後に伊藤さんは、「過去を振り返って『つらかったな』と思うより、楽しく生きるにはどうしたらいいかを考えたい。団体の活動もそういう方向に向けていきたい」としめくくりました。

セクシュアリティも感情も揺れ動くのが、人。
それに適応しきれていないのは、社会の方なのかもしれません。

次回の座談会は8月30日。
なんと、コトノネ編集部にご指名をいただいてしまいました!
季刊『コトノネ』について、携わるメンバーの思いなどをお話させていただく予定です。
コトノネをよくご存じの方も、もっと知りたいという方も、どうぞお楽しみに!