【超・幻聴妄想かるた、できました 新澤克憲】第8回僕らはみんな生きている(その3)  うたかたの日々

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アメリカのアニメ映画のキャラクターのシュレックにちょっと似ていたけれど、ホリの深い顔立ちに「若い頃はきっとモテたに違いない」とみんなが噂したシュウボウの話の続きです。日曜日の夕暮れどきになると、時々、電話をくれました。「しんちゃん、俺、働いた方がいいかな」「どうして?」「だって申し訳ないだろ。怠けてる気がするからさぁ」「いいじゃない。いつか元気になったら、カラオケボックスやってよ。僕、お客で行くから」。私のつまらない冗談を彼は嬉しそうに笑ってくれました。シュウボウはカラオケボックスの店長をやっていたことがあったのです。シュウボウは電話を切る直前になると、少し声色を変えてこんなふうに繰り返すのがお決まりでした。「しんちゃん、いいよね。大丈夫だよね。」「お願いしますね。お願いしますね。ね。」私は、いつものように「はいはい」と答えるのでした。

シュウボウは、旧友の中村さんがハーモニーに入ってきてから、ずいぶん気持ちが大きくなったようでした。仲間たちはよくコロラドコーヒー店に集まっては、ティーン・エイジャーのように店のアルバイトの女の子をデートに誘おうと大騒ぎをしていました。「彼女が、気があるのは絶対に俺だよ」「なーに言ってるんだ。この前、サービスしてくれたよ。オレに決まってるだろうが」とお決まりのモテ自慢が始まりました。結局は全員、振られることになるのですが、その光景をみているのが僕には楽しくて仕方ありませんでした。50をとっくに過ぎたオジサンたちの青春の風景をちょっとだけ見せてもらったような得をした気分でした。

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写真:齋藤陽道

寝逃げ

しかし、楽しい日々は長くは続きませんでした。ある日のこと、トイレから、困ったような表情で出てきたシュウボウが言いました。「赤ワインみたいなシッコでたよ~」
その後、医療センターの診察室でドクターから告げられた病名は初期の膀胱がんでした。診察室を出るとハーモニーの仲間たちが待っていました。喫煙スペースで煙を吐きながら、中村さんは「シュウボウ!さっき、しんちゃんが別室に呼ばれて、もう助からないと言われてたぞ」と笑えない冗談を言いました。みんな、どんな言葉をかけていいかわかりませんでした。シュウボウは「『ある愛の詩』ってか。中村さん~♡、抱いてちょーだい」とおどけて、そういうことを言ってる場合かと私に叱られていました。「そもそも『ある愛の詩』って、膀胱がんの話ではないですよ」と。
その時は、内視鏡下での手術で1週間程度の入院でしたが、その後、何年にも渡って再発しては手術することが続きました。私は数カ月に1回の検査に付き添い、画面に映っていた膀胱内の様子を検査を終えたシュウボウに報告する係になったのです。
体調も安定しません。景色がチカチカと眩しく感じるようになったかと思うと、ふうっと意識を失い、倒れる症状は相変わらずでした。そんな時は、赤玉とみんなが呼んだ薬を飲みました。抗精神薬と睡眠薬の入った赤玉は、シュウボウを一気に眠らせてくれました。眼が覚めた時には目のチカチカはおさまっていました。ハーモニーのみんなは、そういう薬の飲み方を「寝逃げ」と言っていました。
膀胱の手術の影響でトイレが近くなったのと、目がチカチカする症状が現れると自宅に帰って薬を飲まなければならないので、シュウボウが遠くにいくことは少なくなりました。

家族後の風景

シュウボウはハーモニーのそばに転宅し、洋服が層になって重なっていた部屋もヘルパーのおかげで、キレイになりました。部屋に、仲間たちが集まる機会は少なくなりましたが、中村さんだけはいつも一緒でした。バスで30分ほどかかるところに住んでいた中村さんは、早い時間のバスでやってきて、シュウボウの家で一服して、彼を起こしてからハーモニーにやってきました。夕方も7時近くまで一緒に時間を過ごして帰っていくのです。当時、中村さんは「若松組」という組織に狙われていて、部屋に帰るのが苦痛だったのです(コラム第3回「ホントの妄想、ウソの妄想」参照)。
ふたりは、それぞれの苦労を分かち合うかのように寄りそっていました。調子のいい時はバスに乗って渋谷まで出かけて「スタジオパーク」(*)を見に行ったり、年末年始もシュウボウのアパートでコンビニのおせちを注文してすごしていたのです。休みの日など、肩を組んで笑いながらフラフラ歩いている姿を見かけ、ハーモニーの近所の人たちにも「ああ、あの二人組ね」と知られることになりました。お昼ご飯作りで助けてもらっているボランティアさんは、ふたりのことを昔のコメディ映画の名コンビになぞらえて「アボットとコステロ(**)」と呼んでいました。

それぞれ大変なことはありましたが、長い旅路の末に出会ったシュウボウと中村さんが、肩を寄せ合って日々を送っていることが、私にはうれしかったのです。病を得て、単身となり、町中で暮らし続ける。多くのハーモニーのメンバーたちに共通する人生の道筋です。彼らがその時間をどんな思いで送っていくのか。道は様々です。それを、できあいの物語のように語ることを私は好みません。ただシュウボウと中村さんの毎日は、血縁としての家族を持たなくなった後の、人と人の繋がり方を見せてくれているように感じていました。こんなふうに暮らしていくのも悪くはないかもしれないと。


5月のある朝、シュウボウがいなくなりました。行方がわからなくなったです。いつものようにハーモニーに顔を出したシュウボウは銀行にお金をおろしに行きましたが、夜になっても帰ってきません。部屋に行ってみても、脱いだ形のままのジーンズがあるだけでした。頓服用の赤玉はほとんど残されたままでした。何人かのメンバーが声(幻聴)がきついって言ってたよと教えてくれました。
翌朝、私は警察署に捜索願を出しに行きました。事件性がないので、何かあったら連絡しますと言われ、血液型や体の傷や癖などを聞かれましたが、あらためて考えるとシュウボウの怪我の痕や黒子の位置など、全く知らないことに気がつきました。そして、どこかで遺体があがったら確認に行ってくれるかと尋ねられました。

絵札 そ
「捜索願 世田谷警察に連絡だ!」
新・幻聴妄想かるた 2014

この仕事をしていると、年々賢くなることもありますが、私は少しずつ臆病になったような気もするのです。頭の中では良くないことばかりを考えながら、数日を過ごしました。

5日後の昼過ぎにシュウボウは、紙袋一つ持って帰ってきました。無精ひげが伸び、頬は落ちくぼんでいました。幻聴に導かれて、昔の日雇い仕事の手配師を探して都内のサウナを泊まり歩いていたそうです。新宿、高田馬場、五反田、町屋、上野。どこに行っても仕事をくれる人はいませんでした。それでも、声には逆らえず、帰らせてもらえなかったと言います。そして、最後に訪れた上野のハローワークで、フラフラしていると大声で叱られた。それで我に返って、帰ってくることができたそうです。ハーモニーにあった昼ごはんの残りを食べたシュウボウは、中村さんの肩に顔をうずめ、長い間、声をたてず泣いていました。

絵札 ま
「町屋 御徒町 五反田 上野へ 逆らえないんだよね」
新・幻聴妄想かるた 2014

銀行に行った後、手配師に仕事を貰いに…。私には思い当たることがありました。お金の使い方の下手な中村さんは月末になるとスッカラカンで、シュウボウにご飯を食べさせてもらうことが多かったのです。でも、シュウボウにもお金がない。シュウボウは中村さんに、お腹一杯食べてもらうためにお金が欲しかった。その思いを幻聴が加速させ、20年以上も前に繋がりのあった手配師を探し回っているうちに、帰るに帰れなくなってしまった。今もそんな物語が心から離れないのですが、これは私のひとつの思いつきにすぎません。本当のところはどうだったのか、とシュウボウに尋ねてみたいけれど叶わないのが残念です。

翌週、わたしたちはミーティングを開いて「生きて帰る失踪の心得」について話し合い、シュウボウと中村さんは、幻聴に導かれて行ってしまっても、連絡が取れるようにとガラケーを購入したのです。

絵札 も
「もしも失踪する時は周りに相談しながら進めていくのがいいと思います」
新・幻聴妄想かるた 2014

おわかれ

その後もシュウボウの体調はすぐれませんでした。11月から腰痛のため神経ブロックの治療を受けましたが、回復が思わしくなく入院が長引いていました。失踪に備えて買った二人のガラケーは、朝夕の長い与太話に使われました。シュウボウは中村さんが近所に越してくるのを楽しみに待っていたのです。年末になって本人の希望もあり、車いすでの退院になったのです。その頃には相棒の中村さんも、長らく住んでいたアパートを出て、ハーモニーの近所の「若松組」からの嫌がらせの少ない鉄筋のアパートに越してきていました。

退院後4日目の午後のことです。シュウボウの部屋を訪ねた中村さんから着信がありました。「シュウボウが昨日、訪ねてきた時と同じ格好で寝たまま動かないんだけど」。私は、中村さんに「今すぐ、外に出て119番してください。電柱に貼ってある住所を言ってね。すぐに行くから」と伝えました。

救急搬送先の医療センターで中村さんと合流しました。息が止まってすでに長い時間が経過していると告げられました。蘇生措置が打ち切られた直後、中村さんが「シュウボウの履いてたジーパン、新しいので、もったいないからくれよ」と言い、「救急隊が切っちゃったから、もうないよ」と少しとげとげしい口調で、答えたことを今でも鮮明に覚えています。

火葬場で数人のハーモニーの仲間とお見送りをし、お骨は御兄弟の手で、年明けには区内のお寺の墓所に納められました。私も中村さんも仲間たちといっしょに墓参りに出かけました。
時間は私たちの思惑とは関係なく過ぎていきました。大きな地震の後の混乱や日々の出来事にかまけているうちに、私たちはシュウボウのいないハーモニーの日常に少しづつ慣れていきました。

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写真:齋藤陽道

2013年の年末に2度目の墓参りに行った時には、シュウボウの家の墓石はなくなっていて、大きな墓に合祀されていました。そして、その墓参りには中村さんはいませんでした。前の年に中村さんも旅立っていたのです。

いまでも、世田谷のボロ市通りを歩くと、仲間に囲まれ、ニヤニヤ笑いながら、肩を組むシュウボウと中村さんを探してしまいます。何かあったときは連絡すると約束した二人の番号は、私のスマホの中に今も消せないまま残っています。

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写真:齋藤陽道

<了>

次回は、「僕らはみんな生きている4」です。

*スタジオパーク:『スタジオパークからこんにちは』は、1995年から2017年までNHKで放送されていたバラエティ番組。2人はよく見学に出かけた。

*アボットとコステロ:アメリカの二人組のコメディアン。番組が『凸凹劇場 アボット・コステロ』という名で1950年代にテレビ放映され、日本でも有名になった。

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お知らせ 6/23 イベント開催!
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「ハーモニーの今宵は幻」
第1回「宇宙人と謎の組織に関する秘密の会議 ~ム―公認オカルトかるた VS. 幻聴妄想かるた」
日時:6月23日(日) 19:00-21:00 場所:Readin’Writin’BOOK STORE
出演者:望月晢史さん(『月刊ムー』編集部)× 田中さん 金原さん (ハーモニー)
ホスト:新澤(ハーモニー)
定員:12名
参加費:1,500円

「幻聴妄想かるた」の題材になっているように、ハーモニーに集う人たちの中には、不思議な体験をした人たちも少なくありません。宇宙人、予知能力、謎の組織。一方、そんな不思議な出来事を40年に渡って、面白く、かつ真面目に僕達に伝え続けてくれている雑誌が『月刊ムー』です。実は「ムー公認 オカルトかるた」という驚くべき「かるた」も存在するのです。ハーモニーの「かるた」とムーの「かるた」を合体させて遊んだらどんなことになるのだろう?という好奇心から今回の企画はうまれました。
「ムー公認 オカルトかるた」の制作者である望月哲史さんをゲストにお迎えして、世界の謎と不思議についてディープなお話しをうかがいながら、一夜かぎりの「幻聴妄想オカルトかるた」で遊んでみませんか。

<お申込み>
参加をご希望の方は、お名前、連絡先を明記のうえreadinwritin@gmail.comまでお願いします。

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新澤克憲
1960年広島県生まれ。精神保健福祉士、介護福祉士。1995年よりハーモニー施設長。

就労継続支援B型事業所ハーモニー
東京都世田谷区にあるスペース。リサイクルショップ、ものづくり、公園清掃ほかさまざまな仕事を行っている。現在、30人ほどが利用している(2019年)。1995年に精神障害のある人たちが集う「共同作業所ハーモニー」として開所。2006年にNPO法人化、2011年に就労継続支援B型事業所に移行。