【連載コラム ただいま暗中模索中!ぷらぷら作業療法士の鈴木洋介】「受けとめることの覚悟」

ぷらぷら日記-01

訪問リハで伺っていた利用者が自宅で亡くなった。90歳近かった。脳卒中で片麻痺となった後、閉じこもりがちになっていた息子が、母親の傍らで「お母さんに何もしてあげられなかった…」とおいおい泣いている。息子の背中をさすりながら、私はあの日の自分を思い出していた。

母親が亡くなった日、空の青さも、カフェの店員の笑顔も、電車の中の家族の団らんも、すべてが自分から遠いと感じた。自分だけ日常から追いやられているような疎外感だった。寂しさと後悔で、毎晩泣いていた。まだ受け入れることも出来なかったこの時期、なぜだろう、私が病院で担当していたうちの3名は、自殺を試みた人たちだった。

死とは何なんだろうと考え始めると、生きるとは何なんだろうと考え始める。
生きるとは何なんだろうと考え始めると、人生とは何なんだろうと考え始める。
人の死や様々な人生模様に出会うたびに、ぐるぐると思いを巡らすのである。

作業療法士は、クライエントがどのような「こと」に自信を持ち、自己肯定感を抱いているのか、どのような「こと」に興味や関心を抱いているのか、どのような「こと」に価値や意味を感じているのか、それらがどのような役割を担い、習慣となって、日々を営んでいるのかという情報を大事にする。それは、作業療法士が対象とする「人」と「作業・Occupation(意味と目的のあるその人自身の行為)」の根源となっているからである。そして、それらは環境や文化の影響を受け、時間の流れと共にかたちを変える。死とは?生きるとは?人生とは?世界の中の複雑な人の在りようを理解しようと、頭の中をぐるぐるさせる。

特別養護老人ホームで出会った80代のAさんは、脳梗塞の影響で左半身に麻痺があった。日本がまだ占領していた頃の台湾で生まれ育ち、長年、中国文化を研究し、非常に聡明な方であった。台湾が好きでしょっちゅう旅行する私に、穏やかな優しい笑顔で、当時の話や現地の言葉を教えてくれた。短歌を詠み、右手で書字し、自然の美しさを表現した。一方、「特攻隊」で生き残った自分の人生を振り返り、戦争の悲惨さと人間の儚さ、繰り返してはならない強い想いを冊子にまとめていた。私がここで勤務するずっと前から入所され、若い時から現在に到るまでの数枚の写真を拝見しながら、自信や興味、価値や意味、役割や習慣に関する情報を整理し、Aさんが時代の変化と共に、どのような人生を歩んできたのか考えた。

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Aさんが何年か前に書いた5月の短歌。施設には毎月異なるAさんの短歌が飾られる。

そんなAさんの体調が急変した。穏やかだった笑顔が消えた。検査のため、病院へ行くということで、「戻ってきたら、台湾の話をしましょうね…」と玄関で見送った。そして、それが最期の姿になってしまった。

Aさんのいなくなった部屋に行き、Aさんの人生をもう一度振り返った。死とは何か、生きるとは何か、人生とは何か…。短歌を書いていた机にAさんの姿を重ねた。

桜も散り、暖かい穏やかな休日、洗濯物を取り込んでいた。と、その時、昔、母親が同じように昼寝から起きて、さて、頑張るか!と洗濯物を取り込む姿をふと思い出した。きっと平凡な1日であっただろう。しかし、そんな日々にも、いつか終わりが来るのだ。

死とは何なんだろう…
生きるとは何なんだろう…
人生とは何なんだろう…

今日もぐるぐるさせる問いには、きっと答えはないのかもしれない。ただ、思ったことは、「受けとめる」ことの覚悟を持つことである。作業療法士には、いや、おそらく、作業療法士という仕事を選択した私個人には、関わる多くの人たちが抱える重みを「受けとめる」覚悟が必要である。目の前で泣いている母親を亡くしたばかりの中年の息子に対しても、想像も絶する経験の中で死を選択し、今、ここで私と出会ったクライエントたちに対しても、特攻隊の生き残りとして命の重みを伝えてきたAさんに対しても、その存在を「受けとめる」こと。問いに向き合うことは、存在を受けとめる覚悟をすることなのかもしれない。そして、一人一人のストーリーを、彼らの文脈を聴いて、理解することが、その助けとなるのだろう。

作業療法の世界には、use of selfという言葉がある。作業療法士である自分自身の存在を、クライエントとの関わりの中で活用しなさいという教えである。決していなくなるなんて考えもしなかった母親の喪失に苦しんでいた私自身の存在が、彼らを「受けとめる」ことに繋がれば…。

これからも、作業療法士として、作業療法という仕事を選んだ私個人として、死とは何だろう、生きるとは何だろう、人生とは何だろうと、問いに向き合っていこうと思う。

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母がかえりたかった故郷の景色。生前、ここで同じように眺めていた母は何を想っていたんだろう…