【超・幻聴妄想かるた、できました 新澤克憲】第3回 ホントの妄想、ウソの妄想

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若松組と夜中のドシンドシン

中村さんがまだ生きている頃だから7~8年前のことでした。お世話になっている馴染みの不動産屋さんがやってきて、私に向かって中村さんの隣の部屋の人が夜中にドシンドシンと音が聞こえるっていうんだが、あなた何か知らんかねと言いました。外を通る車の音じゃないかなあと答えてはみたものの、実は、ちょっとだけ思い当たることもあったのでした。

数日後、二人だけになった機会に「そういえば、不動産屋さんがね」と切り出してみました。予想した通りでした。中村さんは、ちょっと自慢げな面持ちで、若松組が外にいたんだよ、床を踏みつけると、やつらを蹴散らすことができるんだと言うのです。実演付きで説明してくれたのですが、中村さんは横綱の土俵入りのようにゆっくりと地面を交互に踏みつけるのでした。確かに、ドシンドシンと音がしました。

若松組とは中村さんに長年つきまとい、嫌がらせをしている組織です。身の回りに出没して、悪口を行ったり、大きな音を立てて驚かせたりする迷惑な連中です。その頃は、もっぱら「中村さんの立っている地面を揺らして歩けなくする」という悪質ないたずらを仕掛けていました。仲間達がまっすぐに歩ける地面を、中村さんだけはグラグラとふらつきながら歩きました。中村さんが地面を揺らす悪の組織に対抗して、地面を踏みつけるというのも、彼なりのまっとうな対処法だったともいえます。

その1年前、地面が揺れるので、怖くてアパートの2階への階段が上がれなくなり、中村さんは引っ越しを決意しました。私と彼は「悪い組織が嫌がらせに地面を揺らすので、揺れにくい物件ありませんか」と探し回り、やっと今の不動産屋さんに行きあたったのです。深夜のドシンドシンを、あの不動産屋さんならば分かってくれるかもしれません。でも、隣の部屋の人はびっくりするだろうな、どう伝えればいいだろうか。「夢でもみたようですね」とでも言えばいいのかなと考えをめぐらせました。

中村さんがどんなに真剣に説明してくれたとしても、私が若松組に出会うことはありませんでした。常識的にかんがえれば、若松組は中村さんの妄想ということになります。
妄想、それが眠っている時にだけ体験する夢のようなものだったら、本人も現実との境目が分からなくなって、苦労をすることもないでしょう。しかし、妄想は行動を引き起こします。中村さんの場合、妄想モードが発動すると、地面が揺らされて転倒したり、若松組に対抗するために部屋でドシンドシン大騒ぎをしたり、イライラが高じて過食となり、慌ててかき込むので近所の飲食店で食べたものを吐いたり(そのため近所では出入り禁止の店ばかりで、食事はちょっと離れたところに行く)、とめられない食欲のせいで、親友のふた月分の保護費を自分の食費に使ってしまって、不仲になりました。
見えない若松組は、中村さんの引き起こす色々な事件の波紋の中で、はじめて私たちの前に現れ、否応なく周囲は関わることになります。私やハーモニーの仲間にとっても知らないとばかり言ってはいられなくなるのです。

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『幻聴妄想かるた』(医学書院2011)より
左から
け:警察から連絡あり 若松組が半分逮捕されました
を:若松組が床を揺らす
は:早く捕まってほしい 若松組

和気あいあいの他人事

『超・幻聴妄想かるた』の冊子には、美学者の伊藤亜紗さん(*)にエッセイを寄稿していただきました。伊藤さんはベストセラーになった『どもる体』(医学書院)のあとがきの中でも、ハーモニーのかるたづくりのことを言及してくださっています。
『どもる体』は御自身の吃音体験を出発点とした著作ですが、女の子の口から小さな女の子(どもる子ちゃん!)がとびだしている三好愛さん作の表紙絵から、「はじめてどもる自分を見たような、相対化する視点」を得たそうです。「どもる子ちゃん」は、吃音ということに関して非当事者である三好さんだから可能だった表現なのです。

伊藤さんがハーモニーにいらっしゃったのは、かるたづくりの最終段階の色付けの日でした。かるた作りの作業をするメンバーたちが、他の人の妄想に対して、どこかクールで、「他人事」のように距離をとっていることに驚いたそうです。
自分の苦労を相対化する契機は「相手に共感するような対話的な関係」だけでなく「距離のある他人事のような関係」から得られることもあるという伊藤さんの指摘は、ハーモニーの毎日を考えると、すぐに合点のいくものでした。

人と人の距離感はなかなか難しいものです。友人や恋人、同じ施設の仲間の苦労を自分たちだけで抱えてしまう。あるいは、細部に入り込み「あなたと私の差異」が強調され、結局は「私のことは私にしかわからない」と諦めてしまう。そんな袋小路にはまりがちな私を含めたハーモニーの人たちにとって、開かれた「距離のある他人事のような関係」を試行錯誤しているうちに、期せずしてたどり着いたのが、幻聴妄想かるたを作るということだったのかもしれないと思ったりするのです。

苦しめられていた若松組ですが、中村さんは実際に若松組を見たことはないと言いました。伊藤さんが、三好さんの描く「どもる子ちゃん」に初めて自分を見出したように、中村さんもハーモニーの仲間たちの書く絵で初めて若松組を見たのかもしれません。当時のメンバーたちの手で、様々な若松組が絵に描かれました。一枚一枚を食い入るように見ている彼の姿を思いだします。その後、中村さんは完成した『幻聴妄想かるた』の広報役を買って出てくれ、あちこちの大学にいっしょに講演に出かけました。そのうれしそうな様子が忘れられず「若松組がいるってことを、みんなが知ってくれたから。楽になりました」と笑う中村さんの映像を、今でも講演会の時には使わせてもらっています。

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2008年頃、ミーティングで描かれた様々な若松組

ホントの妄想、ウソの妄想

『幻聴妄想かるた』を作り始めてから10年目の今年、3作目になる『超・幻聴妄想かるた』を自主制作で刊行しました。参加したメンバーは、今回は25人。毎週水曜日のミーティングでは、今も変わらず一人ひとりの近況報告が行われ、時には、それを言葉に起こし、絵を描きます。最近は「こんな面白いことがあったので、かるたにしましょう」とエピソードを持ってきてくれるメンバーもいます。メンバーはかなり入れ替わりましたが、10年の間にそれぞれの中に、「自分たちの作っている『幻聴妄想かるた』とは、こういうもの」というイメージが出来上がっているのを感じています。

シリーズ3作目の『超・幻聴妄想かるた』を作ることになったある日、詩人でもある益山さんが、こんなことを言い始めました。「僕は時々、機嫌が悪くなるでしょう。最近、宗教の教えから解明されたことがあるんです。実は、愛想が良くないのは、僕にベートーベンの霊が憑いているからなんです。アインリヒ・ドナルド・ベートーベンというのが僕の本名だと分かったんです。かるたに採用する僕の札はこれにしましょう。」
みんな驚いたと言えば驚いたことに違いはないのですが、ハーモニーには他にも「天才発明家」や「救世主」「古代エジプト人と結婚した人」など多彩な経歴の持ち主が揃っているので、益山さんがベートーベンであっても、不思議はないのです。
私もメンバーたちも、「ベートーベンの霊の怒りを鎮めると、益山さんが日々、楽しく暮らしていけるならば、これは実に興味深いことだ」と絵を描きはじめました。

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年が明け、いよいよかるたの札を最終決定しようと、検討を始めた今年の2月のことです。益山さんのエピソードはベートーベンで決まりだねと編集チームが話しあっていた矢先、ミーティングで申し訳なさそうに益山さんが口を開きました。
「あの話なんですけどね。ベートーベンはネタなんですよ。すみません!」
その場は、笑いに包まれました。
「ネタは、マズイっしょ!」「ホントの妄想じゃないとね」
「作り話が入ったら、『超かるた』の他の札まで作り話だと思われちゃうねえ」
結局、益山さんのベートーベンの話は、『超・幻聴妄想かるた』には、採用されませんでしたが、このやりとりは、なかなか愉快なものでした。

妄想は多くの精神疾患でみられる症状です。不合理な思いであっても、その人の生活、思想、人間関係に大きな影を落とします。妄想に強く支配される時、それまで築いてきた社会的な繋がりが損なわれることもあるのです。
そんな苦労を経てきたメンバーたちが、やっと得られた安定の中で、自ら「架空の妄想話」を作って、それを笑っていられる時間がとても貴重なことのように感じます。

『幻聴妄想かるた』の制作をはじめて10年、私もメンバーたちも当初の「精神障害を世の中に理解してもらうぞ」という力が抜けて、役割から解放され、新たな表現に向けて歩み出している予感がしています。

<了>

次回は、「詩人と確認恐怖症」です

* 伊藤亜紗(いとう・あさ)
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院/大学院環境・社会理工学院准教授
伊藤さんのエッセイ『和気あいあいの他人事』は、『超・幻聴妄想かるた』の本に収録されています。

新澤克憲
1960年広島県生まれ。精神保健福祉士、介護福祉士。1995年よりハーモニー施設長。

就労継続支援B型事業所ハーモニー
東京都世田谷区にあるスペース。リサイクルショップ、ものづくり、公園清掃ほかさまざまな仕事を行っている。現在、30人ほどが利用している(2018年)。1995年に精神障害のある人たちが集う「共同作業所ハーモニー」として開所。2006年にNPO法人化、2011年に就労継続支援B型事業所に移行。

『超・幻聴妄想かるた』 ※本のみ、かるたのみでも購入が可能です。
購入は以下のハーモニーの注文ページまたは、全国の一般書店からの注文可能です。
現在手にとってご覧になれるのは、東京では、書店B&B(下北沢)、Title(荻窪)、on Sundays(神宮前,ワタリウム美術館内)、3331 CUBE shop&gallery(外神田,3331 Arts Chiyoda内)。そのほかには、鞆の津ミュージアム(広島県福山市)、書肆ゲンシシャ(大分県別府市)などです。

ご注文ページ
『超・幻聴妄想かるた(本+かるたセット)』 
定価 3,024円(本体2,800円+税8%)
http://harmony1.theshop.jp/items/11545156

『超・幻聴妄想かるた(本単体)』 
定価 1,728円(本体1600円+税8%)
http://harmony1.theshop.jp/items/11545170
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