全てが、ちょうどいいところに収まっていく ー「アルテ・エ・サルーテ」入団体験記/増川ねてる

舞台の上①

「アルテ・エ・サルーテ」のみんなとの日本ツアーを終えて、2週間が経ち、僕は、この一連の時間(8月にイタリアに渡り、9月の初めから週3回の稽古が始まったこと。9月の終わりに日本に帰って来て、僕は一人での練習開始。10月の初めにアルテ・エ・サルーテのみんなが日本にやって来て、日本公演を行っていったこと。そして、みんなとの打ち上げパーティ…劇団の友人との観光…そして、見送り…)を振り返っています。
ようやく、振り返りのモードになってきたということでしょうか。いろいろなことが思い浮かび…。
そして昨日、朝の町を一人で走りながら、ふと思い浮かんだ感覚がありました。それは、

「行ってみたら、みんなが居た!!」
「行ってみたら、物語が進んでいった!」

ということでした。

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「ねてる君、劇団入団してみてよ。そして、日本公演をやってみない?」

当法人東京ソテリア代表野口さんの一声があったのは、2017年の10月でした。場所はボローニャ、アルテ・エ・サルーテ劇団の見学にいっているまさにその時。そして、僕は、すぐに、「やりたい!」って、思いました。そして、ガレッラ監督に、みんなの前で、「僕も、演劇したいんです!」って言ったように思います。
そして、「やろうか!」となり…。年度明け、いろんなことが進んでいきました。

僕は、イタリア語会話の教材を購入し、言葉の勉強をしていきました…でも、なかなか上達しません。大丈夫か、と思っているうちに今年の5月に「都市交流ツアー」にて、ボローニャへ。そこで、イタリア語が使えない現実に直面して…。迎えた8月。

大丈夫か…と思っていたのですが…、
大丈夫だったという話です。

いえいえ、正確には、大丈夫だったというわけではないのです。
でも、大丈夫だった。この辺が、今回皆さんに話をしたいことです。

舞台の前①

とにかく、とにかく、寄り添ってくれるんです。
その「寄り添い力」がハンパない!!

例えば、僕が、失敗したとしてます。セリフのタイミングを間違えたり…とか、そんな時は、「ねてるーーーーー」って言われます!そして、でも、誰かが「大丈夫、次行こうよ!」言ってくれるんです。
逆に、うまくいったとします。そんな時には「ブラボー―――、ねてるーーー」って、なるんです。そして、僕が失敗して、「ねてるーーーーーー」ってなった時も、そういう心理は、「ちゃんとしてよーーーー」って、言うこと以上に、「僕は、あなたを無視しないよ」
っていう気持ちを感じるんです。そして、それも、上で言った「寄り添い力」。

日本にいるとどうしても、いろんなことがいい意味でも悪い意味でも、不都合なことは「なかったこと」になっていく気がしています。例えば、町で外国人に道を聞かれた。言葉がわからない、道がわからない…。「なかったこと」にして通り過ぎる…。
僕もそうしています…そんなことが多いです。でも、イタリアでは、そういうことが少なかった気がしてます。例えば、そういうことなんです。

「無視しない」

そこに人がいる感じ。
それは、「応答がある」ということでした。

何か、こちらが行動を取る。(あるいは、言葉として発してみる)。と、それを受けた人が“返して”くれる。僕は、返ってきたものをまた、受け止めて返していく。
これまでの行動に慣れ親しんだ僕には、それがちょっと“めんどくさいな”って思ってしまうこともありました。でも、何かの行動があったら、それに応答していくってことに慣れていったら、そして、一人で居たいときにはそれを伝えたらいいんだっていうことがわかったら、その、

「無視されない」「応答してくれる」

っていうことが、とってもあったかくていいものになっていきました。
そうなると、こちらも、表現ができるとようになっていきます。

「返ってくる」

というのは、とても大きな安心感。
だから、ステージの上でも、隣の人と(アドリブ)で話をするシーンがあるのですが、そこで僕も近くの人に話かけることが出来るようになっていきます。ある人物に、訴えかけるシーンがあります。そこでも、僕は、「僕の話を聞いてよ」って訴えかけることが出来るようになっていきました。(もし、この舞台を見ていない人がいるならば…って思って、具体的には書けないことのもどかしさ。でも、もし、いつかどこかで観る機会があったら思い出してみて下さい。あれが、“アドリブ”だったっということを。その位、この《応答してくれる》っていうのがここにはあったということなんです)。

そして、言っておかなきゃいけないことを思いついたのですが、この応答、どんなものかというと…思いやりがある応答なんです。
なんというか、“批判的”なものとか、“けなす”ようなものだとかではないんです。

「あなたにはそれが、必要なの?」って、僕は何度か聞かれていたのですが、《必要性》の観点からの応答に思えます。「あなたは、何を必要としているの?」「私は、これを必要としているのだけれども」って、それがコミュニケーションの基本的なパラダイム。その上での、「やりとり」。そんな風に思います。

なので…、最終的に、
《全てが、ちょうどいいところに収まっていく
(Tutto A Posto:トゥット ア ポスト)》

って、感じになっていく。それが、冒頭に書きました。
「大丈夫になっていく。大丈夫でないんだけれども、大丈夫になっていく」ということなんです。

s_【集合写真】観光①
みんなで観光、記念撮影

イタリア語ができたらなら、「イタリア語が出来るということとして」、
イタリア語ができないとしたら、「イタリア語が出来ないということとして」、
そこに、収まっていくという感じ。

無視したら、なかったことにしていくのではなく、
「そのものとして、その場所に“収まっていく”」という感じ。
そして、それは、その人の“必要性”に基づいての方向に。

だから、
イタリア。アルテ・エ・サルーテ。
行ってみたら、そこに場所が開けていった。
行ってみたら、物語が動いていった。

とかく、「準備が整ったら」やってみよう。って想いながらの日本の暮らしに慣れ親しんで、「あーーーー、まだ準備が出来てない! どうしよう―――」ってなりがちな僕でしたが、
イタリア、行ってみたら、なんとかなった。
行ってみたら、自分の場所が出来ていった…。

この経験は、これからの僕の人生を、(また一歩)変えていく経験になったと思います。
みなさん、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

Tutto A Posto(トゥット ア ポスト)
大丈夫。
収まるところに、収まりますように!!

NPO法人東京ソテリア・ピアサポーター
増川ねてる