【NPO法人シェルパ古市貴之 連載コラム 楢葉町でぽくりぽくり】ふるさとに戻って3年

naraha

毎朝、町役場の駐車場で特別支援学校の送迎ワゴン車が来るまでの時間を子ども達と過ごします。親御さんが仕事などの都合で付き添えない方へ3年前からボランティアで始めた登校の送り出し支援は私のライフワークになっています。昨年から行政から予算をつけていただきました。

震災前に双葉郡にあった支援学校は現在となりの市に移転しており、子ども達は30キロ離れた学校に通っています。朝自宅に迎えに行き学校または最寄りの送迎バス停留所まで車で送迎をします。車の中で必ず「なぞなぞ」を5問したい女の子。今日のスケジュールを確認したい男の子。眠気まなこで一日のスタートをきる自閉症のお子さんたちが自分のペースでゆったりと登校してもらいたいと思っています。朝慌ただしいご家族への支援の意味合いもあり、親御さんの心の余裕はお子さんにとても影響があると感じています。子ども達は出勤や登校を急ぐ地域の皆さんに元気に挨拶をします。地域の皆さんは子ども達に挨拶を返してくれます。そのやり取りが嬉しいのでしょう。歩道からはみ出てしまうような勢いで子ども達は毎日元気良く挨拶をします。
毎日、同じ時間に同じ場所に立っていると様々なことが風景や見えて変化に気付きます。帰還した人が少しずつ増えてきたなぁとか…。苦手だったことが出来るようになったお子さんの成長とか…。怪我をしたであろう足にギプスをした車イスの同級生を押して登校する高校生の姿を見て「この地域の未来は君たちにまかせた!」などと自分勝手に感激してしまう自分がいたり…。毎朝たくさんのエネルギーをもらっていることを実感します。どーんと落ち込んでしまった夜でも毎朝子供たちの笑顔で一人の人間に戻れます(笑)

私自身3年前に故郷の双葉郡に戻り、福祉の仕事をさせてもらっていますが、支えているつもりが実は支えられているとハッと気付かされます。それは、避難先の地域の方々に助けていただいた時に感じた心強さと同じく心安らぐ感情でした。
震災後の生活でより強く感じるようになった一人ひとりの「居場所」の大事さ。人が生き辛さを感じる時、孤立感・疎外感・自己を卑下する思いを内に生じさせてしまう背景・要因があると思います。絶望を感じるほどであれば、この世に自分の生きている意味などないと思い詰めてしまうかもしれません。その状態にあることはとても不幸だと思いますが、誰しもその状態にはなり得るものと震災は教えてくれました。共に考え、それでいいんだよと寄り添ってくれて、時々背中を押してくれる存在。そばにいてくれるだけでも良いかもしれない。そんな心穏やかに時間を共有できる場所や仲間の中にいることを少しでも実感できるのなら人は誰しも様々な壁を乗り越えて行けるのではないでしょうか。自らの生き方を自ら選択できるのではないでしょうか。
大きな流れの中で埋没しやすい小さな声。先行きが見えない不安の中で交錯する多様な思惑。子育てへの不安、食物への不安、体制への不満。しかしそれを口にして不安を訴えることは、福島第一原発から15キロほどのこの地域で生活をしていくと決めた者にとって多くのストレスを生み出しかねません。まだまだ復興半ばで先行きが見えない環境かもしれませんが、用意された型にはまってもらうのではなく、一人ひとりの大きさに向かい合える「よりそい」の形がこの地域で今求められていると思います。

毎日同じ場所で同じ時間に道行く人達の写真を撮り続けている主人公が登場する『SMOKE』と言う映画があったなぁ。難しいことは抜きにして、やっぱり『毎日の生活』こそが大事だし、楽しさは勿論、生き辛さでさえも分かち合える、どんな境遇でもどんな決断をしても「まんざら悪くない」と思える。そんな人生を同じ場所で分かち合える地域に福島がなれればと思います。あとは実践あるのみ。率先して踊り続けよう。10年後振り返ったら、あぜ道ぐらいできていれば良いなァ。