【コトノネ編集長のおまけ日記】消えたことわざ

コトノネ編集長のおまけ日記

最近、ふと気づいた。会話から「ことわざ」がなくなっている。少なくても、わたしは使わなくなった。

もう、半世紀以上も前、わたしの子どもの頃の大人は、何かといえば、ことわざで始まり、ことわざで締めくくっていた。夕食をいつまでも食べていると、おばあちゃんは、「ほんま、この子は川流れのごもくや」と笑った。ごもくとは、チリ、芥のこと。川を流れるチリや芥は橋に杭がかかると、なかなか離れない。杭を「食い」にかけて、食い意地が張っている人間のことを意味した。
悪いことをすれば、おてんとうさまが見てるで。ちょっと試験でいい点を取って天狗になっていると、勝って兜の緒を締めよ。
いま手元の「ことわざ辞典」を開くと、「ああ言えばこう言う」が最初に出てきた。反抗期を迎えた中学生の頃、親から叱られたときによく聞いたことばだ。「もう、お前と話してたら、開いた口がふさがらんわ」というのも、日常的だった。陰口悪口に悩んでいると、「しゃあない、開いた口には戸は立てへん」とも「人の口に戸は立てられん」というのが決まり文句だった。

いつから、こんなことわざが日常から消えたのか。とても重宝な言葉だったのに。昔のことわざは、時代劇、歌舞伎、落語、孔子孟子などが出所だったように思う。これらとの縁が薄くなったからか。でも、新しいメディアを通じて流行語が生まれるから、それが「ことわざ」として定借してもいいではないか。流行語も時代を映すだけで、いくつもの時代を生き残れないのか。紅白歌合戦、大衆映画、歌謡曲など、大衆文化が消えたからか、逆に、オピニオンリーダーがいなくなったからか。いやいや、ことばにも使い捨て時代が続いているのか。

言語にも効率化生産性が求められて、「ダサい」「ウザイ」「ヤバい」の3つの言葉ですむようになったからか。ああ、気になるけど、わからない。誰か、教えてください。