【コトノネ編集長のおまけ日記】シベリア抑留

コトノネ編集長のおまけ日記

いきなり、「これ、読んでみ」と、嫁はんが差しだした。嫁はんが乏しい年金から小銭をすくいだすように寄付をしている『9条の会―たまがわがくえん』の会報だった。
あれ、あれ、「あらい青果店」のことが載っている。この店は、わが家のごひいき。コトノネ24号の稲垣えみ子さんのインタビューで紹介したから、ご記憶の方もいるかもしれない(いたらいいなあ)。商店だって立派な福祉であることを教えてくれたお店だった。そこのおじいさんが亡くなられた。そのおじいさんのことが書かれている。
心よりお悔やみ申し上げます、のあとの文章。

北口商店街で47年間 新鮮な野菜を提供してくださっている 荒井青果店の店主、荒井泰一(たいいち)さんが、3月20日94歳で亡くなられました。
荒井さんは、伊勢原のご出身で徴兵され、中国のハルピンで関東軍の通信兵としていた時、ソ連軍が侵攻し、シベリアへ抑留されました。4年間にわたる強制労働に耐え帰国されました。戦争は絶対にダメと九条の会設立時から応援してくださり、9の日に900円のカンパを続け、憲法九条への熱い思いを表現されていました。九条の集まりでは、抑留時代に覚えたロシア語で、ロシア民謡やインターナショナルの歌を歌ってくださいました。90歳を越えてもロシア語で挨拶されたり、歌が大好きでディケアや入院中も歌って皆さんを楽しませたり、亡くなられる2週間前までお店で野菜の袋詰めを手伝ったりされている程、お元気でした。荒井さんの戦争反対のこころざしと憲法九条への熱い思いをうけついでいきたいと思います。 

そして、ご冥福をお祈りいたします、と締めくくられていた。
わたしは、毎週のように買い物に行っていたが、袋詰めの後姿を見るぐらいでお話をしたことはなかった。ただのお年寄りでしかなかった。後を継いだ娘さんも、シベリアに抑留されたのは知っていたが、苦労話は聞いたことはないという。中指が曲がったままなのは、極寒のシベリアで石炭掘りをしていたからだ、と聞かされたぐらい。
みんな戦争のことを語らない。人としての誇りをなくして生きた思い出があるからだろうか。あるいは、そのような行いを自分もしたからだろうか。どっちにしても、生傷として現在形の過去なのだろう。

シベリア抑留の話を聞いておけばよかった。こんな身近にいたのに。残念。