【コトノネ編集長のおまけ日記】ヨロ島出身の運転手さん

コトノネ編集長のおまけ日記

「ヨロン島の出身です」と運転手さんが言った。へぇっ、与論島は奄美なんですか。いえいえ、ヨロ島です。予路島と書く。奄美大島の南にある加計呂麻島、その後ろにひっそり隠れるようにある島という。聞き初めだ。加計呂麻島でも十分小さい島と思うのに、それより小さい…。

いまは、人口70人ほど。90歳を超えたお母さんが1人で暮らしている。「ただ、近くに姉がいて、3食運んでくれています」。運転手さんは、島にある中学校で学んで、奄美大島の瀬戸内町にある高校に進んだ。寄宿生活だった。高校を卒業して、郵便局に職を得て、大阪で10年間務めた。オヤジに少しでも近くにいてくれ、と言われて、奄美大島に転勤願を出して、高校時代を過ごした瀬戸内町に戻ってきた。

運転手さんの子ども時代は、小学生・中学生で約200人もいた。いまは、全校生徒7人。もう、人口が増えることはない。奄美大島は相撲の盛んなところ。いまも、現役力士で大奄美元規という関取がいる。運転手さんが育った島でも、子ども時代も相撲大会などがにぎやかに行われた。行事も多く、郵便局の職員が企画・運営に走り回った。けれど、いまでは郵便局も2007年(平成19年)の民営化以降は、人員削減・業務課合理化により、地元のお世話役から降りた。「子どもの声も聞こえなくなり、祭りの騒ぎも聞こえず、さびしくなるばかりですよ」。昔は、家族が食べる分だけ野菜や米を栽培し、日持ちのする分だけの魚を獲り、乏しくなれば海に舟をこぎだす自給自足に近い暮らしだった。現金が欲しい分だけは木を伐って売った。林業も廃れたいまは、年金で暮らせる人しか留まれない。

 
いずれ、人も住まなくなり、島は自然に戻っていくのだろうか。日本中に、こんな島はどれだけあるんだろう。
聞けば、運転手さん63歳。町に出て話を交わす人は、自分よりも、年下が増えてきた。なんだか、さびしい。