スペクトラムの時代の「家」に向けて ー「障害の家」松本卓也×大崎晴地 トークイベント中編「肯定だけで、作られた家」

猫にとっては、正常な建築

松本 面白いですね。実際に障害をもっている人が自分の個性に合わせて、どんどんブリコラージュ的にDIYで作っていく。そういうふうにできた建築の何が特徴的になるかというと、おそらくそこには欠如がないということです。つまり、「何かがない」ということにならない。たとえば、そこの下の通路に穴があいていることを、欠如として捉えない。これは端的にこういうものとしてあるんだ、というふうに肯定的に捉える認識になると思います。

大崎 あそこは猫の通路になっていて。

松本 ああ、猫なんだ。

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「床下の猫通路」photo by Takahiro Tsushima

大崎 普通に入ってきて、下を通っていく。猫には正常な建築なんですね。

松本 猫にとっては、それは肯定性としてあるわけですよね。何かがない、ということではなくて。否定性の拒絶は、自閉症という臨床形態とよく関連しているんですよ。たとえば、ラカンの講義のなかで症例提示されたロベールという自閉症者の症例がありますが、彼は家の扉が開くとパニックになってしまうんです。なぜかというと、そのロベールにはトラウマがあって、親に捨てられたり病院や施設から追い出されたりということを何度か経験しているんです。だから、彼にとって扉が開くということは、今まであったもの、自分の存在を安定させてくれる家がなくなるということなんです。つまり、肯定性だけによって身のまわりを満たすことによってかろうじて安定化している世界に、突如として否定性が侵入してくる。彼はそういうときにパニックになるんです。彼に他にどんな症状があるかというと、オマルに自分のウンチとかオシッコするでしょう。それが片付けられる、つまりオマルのなかが掃除されて自分の排泄物がなくなるときにも、同じようにパニックになるんですね。

この症例のように、自閉症の子どもには、世界に欠如が侵入するときにパニックになるという傾向がみられます。だから、何かがなくなったときに、それを「欠如」として捉えてしまうと、やはり住みにくくなります。しかし、逆に「あるものがあるものとしてある」だけの世界を作り上げて、どんどん自分の住処を作り上げていくこともできる。自閉的でない、いわゆる「定型発達」の人々って、やっぱり住居のなかに否定性を導入しがちですよね。たとえば、「わびさび」というのは、質素であって何かが無いことによって、むしろ奥深さがうまれると考えるわけです。

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「転びそうになる床」photo by Takahiro Tsushima

死角をなくす病院、あえて死角をつくる病院

大崎 宮本忠雄という精神病理学者が、「実体的意識性」ということを言ってますけど、自分の背後に人がいるとか、精神病の患者さんは死角があるとそこに妄想が起きやすいということがあって、ある病院ではそういった死角をできるだけ作らない建築を建てようと。ある意味、それはバリアフリーですけど。

松本 バリアフリーですね。精神病院の建築にもいろいろ面白いものがあって、大崎さんがおっしゃったように死角を作らないほうが良い場合もありますけど、反対に、京都大学附属病院の今の精神科の病棟は、松本雅彦という最近亡くなった有名な精神科医が設計に関わっていると聞いていますが、死角が結構あるんですよ。

大崎 あ、そうなんですか。

松本 うん。隠れるスペースがいっぱいあるんです。それはおそらく、どんな患者さんがメインで入院しているかということによっても違うと思います。統合失調症の患者さんだったら、後ろの気配が気になるということがあるけれども、もうちょっと病理の浅い最近の統合失調症や、神経症水準とかパーソナリティ障害の患者さんになると、むしろ隠れられるスペース、人から目に付かず誰にも監視されない、けれども個室ではなくて外ともつながっていて、こっそり何かができる、というくらいの空間があった方が生活しやすいんじゃないでしょうか。おそらく、そういう発想をもとに死角になりうるスペースを作っているのでしょう。その場所に入院している人たちの特性に合わせて、一番住み良い建築というのがきっとあるのでしょうね。統合失調症の人たちと、もう少し病理の浅い人たち、あるいは自閉症の人が住みやすい建築ってたぶんそれぞれ全然違う。だからさっき大崎さんが言ったみたいに、みんな建築するべきなんでしょうね。住宅ローン減税じゃなくて、リノベーション減税みたいなのを作って、奇妙であればあるほど税金が下がるとか(笑)。

大崎 (笑)。妄想というと、どちらかというと視覚的なものとの関係が強いと思うんですね。イメージの方。だけど自閉症になると触覚とか体感に近い部分での行為の方に近づくところがある。または視覚的すぎるから触覚過敏にもなるとも言えるかもしれません。物との関わり方って、物それ自体と触覚的な部分との両方で成り立っている。視覚的にあるものがない状態を恐がるということと、見えているところしか見えないという自閉症の特質として言われる感覚は、かなり違う印象がありますね。

後編につづく

(※6)荒川修作
美術家、建築家。90年代より本格的に身体を中心とした建築作品を手がけた。「養老天命反転地」(岐阜県養老町)、「三鷹天命反転住宅~In Memory of Helen Keller~」(東京三鷹市)などがある。

(※7)クァンタン・メイヤスー
フランスの哲学者。パリ第一大学パンテオン・ソルボンヌで教鞭を執る。人類学者クロード・メイヤスーの息子。

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