地域に高齢障害者のはたらく場を――桐ヶ丘商店街(東京都北区)

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空き店舗に悩む商店街。場所を探す福祉施設。どうせなら1+1を、3にも4にもしたい。そのカギは、福祉が地域に開くことと、商店街が、その役割を変えることにある。

高齢障害者の働く場所が欲しかった

東京都北区。JR赤羽駅からおよそ1.2キロメートル。徒歩で20分、バスで5分ほどの場所にある「桐ヶ丘中央商店街」。東京オリンピックのころに建てられた都営アパートと同じ敷地につくられた商店街だ。高度経済成長期には地方から多くの人が職を求め東京に出てきた。膨らむ人口に対応するため、赤羽には次々とアパートがつくられた。その当時は商店街も大変なにぎわいを見せていたという。いまは人口も大幅に減り、高齢化も進み、商店街はさびれた。大半が店を閉め、いくつかの営業している店舗も、訪れる人は少ない。北区で障害者就労支援施設を運営する社会福祉法人ドリームヴイが、カフェ「ヴイ長屋」を開いたことから、桐ヶ丘中央商店街は大きく変わっていくことになる。

ドリームヴイの小島靖子理事長は、障害者の働く場所づくりにおいて、先進的な取り組みを続けてきた。「スワンベーカリー」のフランチャイズ1号店「スワンベーカリー十条店」を1999年にオープンし、就労継続支援A型事業所の制度ができる以前から、一般雇用で障害者を雇用した。そんな小島さんが、桐ヶ丘中央商店街でカフェを開こうとしたのは、働く障害者の「高齢化」という課題に直面したからだ。「定年になったり、高齢になって体が動かなくなり、いままで通り働けない人たちが出てきました」。彼らの新たな居場所として考えられたのが、商店街の空き店舗を活用したカフェだ。しかしそれは、いままで通り働けなくなった障害者の受け皿、というだけでなく、地域に向かって大きく開かれ、地域の福祉課題を拾い上げる場として育ち、商店街を生まれ変わらせようとしている。

30分の清掃は、地域とつながる最初の一歩

朝10時。「ヴイ長屋」の事務所から、半纏のようなユニフォームを着た人たちが出てくる。「地域清掃」と呼んでいる、商店街周辺の清掃業務だ。大通りに接する面を開口部にした「コ」の字型になっている桐ヶ丘中央商店街。清掃は「コ」の字の内側と外側に分かれて行われる。それほど多くの人が訪れるでもなし、毎日ゴミなんて出るのだろうか、と思うが、「タバコの吸い殻がすごい」と言う。買い食いのビニール袋や紙くずなど、よく見ると確かにいろんなゴミが落ちている。障害者もスタッフも総出でみっちり30分間ゴミを拾い続ける。

「ヴイ長屋」が桐ヶ丘中央商店街にできておよそ2年。毎日欠かさず行っているこの地域清掃が、地域との新しいつながりを生んだ。1年ほど前からはじまったゴミ置き場の清掃業務が、それだ。毎週火・水の週2回、商店街近くのアパートのゴミ置き場で、ゴミ収集の後片付けをする。ゴミ置き場の管理は自治会ごとで行っており、棟によって対応が異なる。住民による当番制で清掃している自治会もあるし、シルバー人材センターに委託している自治会もある。そんな中、あるアパートの自治会が、地域清掃をしているヴイ長屋の障害者たちの姿を見て、声をかけてくれたのだという。ヴィ長屋の施設長・原田洋介さんは、「シルバー人材センターの仕事を奪おうとは思っていない」と言う。だから、積極的にこの業務をほかのアパートに営業しようという気はない。しかし、「わたしたちが揃いのユニフォームを着て、近所で作業をしているのを見て、自治会の人が声をかけてくれたことがうれしいんです」。

40年経って、桐ヶ丘が居場所になった

清掃業務担当のSさんは、実は、このアパートに住んでいる住人でもある。桐ヶ丘地区に住んでもう40年になるという古株だ。長年、ドリームヴイでヤマト運輸のメール便の配達を担当していたが、高齢になり、体力の低下もあって、この「ヴイ長屋」にやってきた。Sさんは、若いころから精神疾患に苦しんだ。そのときのことを知っている住人も少なくないという。「若いころは、いまよりも(症状が)ひどかったですよ。幻覚や、幻聴も出ていましたからね。お酒に逃げたりもしていました」とSさん。原田さんも、Sさんの昔のことはあまり詳しく聞くことはないというが、昔は症状が激しくなると、誰かれかまわず暴言を吐いたり、泥酔して町中をふらふらしたりということもあったようだ。「わたしは『有名人』ですから」とSさんは笑う。

しかしいまのSさんには、周りから避けられている、という様子はない。ゴミ置き場の清掃作業中に、自転車に乗った女性から「ご苦労さま」と声をかけられ、そのまま立ち話をする。その女性の素振りに、Sさんを警戒する様子はない。もちろん年を重ね、Sさん自身の症状が穏やかになってきたことはあるだろう。それに加えて、商店街やゴミ置き場の清掃など、地域で働くSさんの姿を毎日のように目にすることで、地域の人がその存在を認めることができた。だから、Sさんは桐ヶ丘を自分の「居場所」とし続けることができるのかもしれない。「イベントなどの告知で、商店街の中でチラシを配ることがあるんです。わたしが配っても誰も取ってくれないのに、Sさんが配るとみんなが寄ってくる(笑)」と原田さん。40年間暮らした地域で、穏やかな日々を過ごしているSさんの姿は、ヴイ長屋が目指すべき、一つのモデルケースとなっている。

※「桐ヶ丘商店街」の記事は、2017年5月発売の『コトノネ』22号に掲載されています。

写真:山本尚明