精神病院のないボローニャで、働いてみる ー東京ソテリアの取り組み

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2017年、東京ソテリアがはじめたのは「日本・イタリア精神障害者共同就労支援プロジェクト」。ピアスタッフや、就労継続支援A型事業所で働いている人が、イタリア・ボローニャへ1カ月間行って、アパートに住みながら現地の社会的協同組合で働くという取り組みだ。支援スタッフも同行、ちゃんとお給料をもらいながら働く点がユニークだと言えるだろう。

東京ソテリアは、2009年に設立されたNPO法人。主に精神障害の人の支援をし、グループホームや、地域活動支援センター、A型事業所などを運営。「当事者主体の社会」をつくることを目指し、ピアサポーターとして精神障害をもつ人も複数名働いている。
このプロジェクトのきっかけになったのは、2012年から行ってきた「都市交流ツアー」。海外の研修というと、支援者や研究者だけが行くことが多いが、当事者こそが行くべきだ、という考えの元、障害のある人たちもいっしょに、韓国やスイスなどを訪ねてきた。

2013年のイタリア・ボローニャへのツアーに参加していたピアサポーターの増川ねてるさんは、同じく精神障害を抱えるジャコモさんと現地で友だちになった。2人の交流は、旅行の後も続き、増川さんが休職しているときにジャコモさんからしっかりしろよ、と連絡が入ったりしていたそうだ。
そんな個人的なつながりもあったことから、ボローニャとの関係は途切れることなく続き、2015年にはジャコモさんや支援者らを日本へ招聘、翌年の2016年には再び増川さんたちがボローニャを訪ねるなど交流を深めてきた。そこから、さらに発展させて何か形になるものをやっていきましょう、とボローニャの精神保健局と話し合い、生まれたのがこのプロジェクトだ。

職場が、地域が、支えるボローニャの暮らし

ボローニャで受け入れ先となっているのは、エータベータ協同組合。主に依存症の人を受け入れ、レストラン事業、農業、ガラス工芸などの仕事を行っている。このプロジェクトに参加することで、日本からの就労を受け入れるだけでなく、イタリアの精神障害者4名の社会適応訓練も行うようになったそうだ。
第1期として、この夏1カ月間ボローニャに行った柳槙哉さんは、いつもはグループホームとホームヘルパーステーションを兼ねている「ふれにあ本舗」でピアスタッフとして、働いている。海外に行くのは、これがはじめて。最初は不安も大きく「明らかに東洋人なのに、イタリア語で話されて…」と言葉の壁もあったが、英語とジェスチャーを交えて話すうちにコミュニケーションがとれるようになった。朝は8時から畑仕事に汗を流し、午後はレストランで調理、3時半には仕事を終えるという規則正しい毎日を送るうちに、日本にいるときよりもむしろ健康的になったほどだったと言う。

支援スタッフは3カ月、当事者は1カ月ごとに交代し、イタリア野菜の育て方や、パスタのつくり方などを覚えて帰ってくる。今後それを生かした事業の展開も考えているが、このプロジェクトのいちばんの狙いは、精神病院がないボローニャで仕事と生活を、実際に当事者が体感すること、そして、そこでの経験や感覚を日本での暮らし方、働き方、地域へと彼らが主体となって、反映していくことだろう。
スタッフの塚本さやかさんは、「いまは健常の世界に合わせられることが、就労の成功となっているけれど、それには限界があると思うんです」と言う。

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仕事があるから、生活も立て直せる

障害者の就労のゴールは、どこにあるのか。健常の世界のペースに“合わせられた人”だけが、仕事をする。そのための訓練を積む。本当にそれでいいのか。職場が、社会の方がほんの少し、歩み寄ることができたら、もっと多くの人が働けるようになる。
前出の増川さんは言う。「病気がよくなってから、仕事を探しなさいは、逆だと思うんです」。仕事があるからなんとか、症状と共存しようとする。仕事があって、はじめて生活を整えることができるというのだ。

東京ソテリアは、障害のあるなしに関わらず、勤務時間は人によってバラバラ。「その代わり、何かほかの人が困ったときはお願いねという感じなんです」(塚本さん)。たとえば、増川さんはナルコレプシーという昼間に耐えがたい眠気などの症状が出る病を抱えているから、眠気がひどいときは仮眠をとってもいい。小さな子どもがいる人は、在宅で働いたり、時短勤務をしたりと、人それぞれ、異なる働き方になっている。障害当事者が中心にいる職場だからこそのあり方と言えるだろう。
障害者の就労について考えることは、障害のある人だけのためではない。みんなの「働き方」改革に、企業が社会がもう一度自分たちのあり方を見つめ直すことに、つながっている。