コトノネだらだら座談会 のぞき見版【10月27日 鈴木洋介さん】

今回は、フリーランスの作業療法士(Occupational Therapist)として活動をされている鈴木洋介さんがお話をしてくれました。作業療法士とはどんなことができる仕事なのでしょう。また、鈴木さんは、どんなバックグラウンドを持って、この仕事と向き合っているのでしょうか。

まず、「作業」という言葉について、注意深く説明してくれました。これは、英語の「Occupation」から訳された言葉です。手作業などの表面的な作業ではなく、家族のために肉じゃがを作るといった、その人の習慣のなかで価値や意味のあるものを指しています。
しかし、障害を持ったり、歳をとったり、災害があったりして、これまでの自分の営みから切り離されてしまうこともあります。すると、これまで自分が自分として成り立つために大切にしてきたことが失われてしまうので、その人は不安定な状態になってしまいます。作業療法士は、その人が失ってしまった「作業」が何かを見きわめ、環境を調整しながら、その人が自分の大事にしている作業に再び結びついていけるよう関わっていく専門職なのです。

鈴木さんはこれまで、どんなふうに関わってきたのでしょうか。あるリハビリテーション病院で働きはじめてから3年が経ったころ、40代でくも膜下出血で倒れた方を担当していました。その方は、もともと中華料理人で、「もう一度、料理人として仕事がしたい」という夢を持っていました。しかし、入院中で、思うように動かない体。周囲も、そして、本人も諦めかけていました。

鈴木さんが本人と何度も話し合った末に考えたのは、直接料理をしなくても「料理人」に近づくことができる方法。同じ職場で、同じように働くことができなくても、この人の料理人として大切にしていた要素を意図的に盛り込むことで、病院の作業療法の場面で他の入院利用者に料理を教えるというプログラムを実行に移しました。退院後は、休みの日に奥さんと出かけて、お店で提供する料理の材料を買いに行く。自営の居酒屋のPOPを描いたり、大学生のバイトの指導をしたり、お客さんと飲み交わす。こうしたさまざまな工夫で料理人に近づく「できる」経験をすることで、その人は、最終的に地域のお祭で中華スープを出すまでになりました。

鈴木さんは、その人が興味を持っていること、大事にしていることは何か、1日、1週間、1年間の習慣は何か、それにはどんな意味があるのか、それぞれが持っているストーリーを丁寧に見つめていくことで、その人が自分自身を見失わないよう「自分」を持って、社会に参加できるように環境を整えていったのです。

なぜ、鈴木さんは作業療法士の道を選んだのでしょう。いくつか、ターニングポイントがあったと言います。ひとつには、自分がセクシャルマイノリティであること。幼少期より周囲から否定的な目で見られることで「ありのままの自分であることは悪い」と思い続けてきたそうです。しかし、「男らしく」あろうとすることに違和感があり、友達といても孤独でした。大学にも行きたくない、やりたいこともない。そう思っていたときに、作業療法士という仕事を見つけて「先が見えた」と思えたのだそうです。

29歳のときに、デンマークにある、障害者と健常者がいっしょに学び生活を共にする学校エグモント・ホイスコーレンへ留学します。脊髄損傷の人、知的障害の人、さまざまな障害を持つ学生たちが、アウトドアや夜のパーティを楽しんでいました。一方、いわゆる健常者ではあっても生きづらさを持っている自分。日本ではゲイとして仮面をつけ外ししながら、2つの世界を生きていかないといけないと話すと「ヨウスケは、それでいいの?」と問われました。「障害ってなんなんだろう」と思うと同時に、「そうじゃない生き方があるのか」と気づかされました。作業療法士としては、「障害を理由に、やりたいことや、なりたい自分を諦めさせることは絶対におかしい」という確信を持ち、自信にあふれた接し方に変わっていきました。

順調にやっていけると思っていた矢先、33歳のときにお母さんを癌で亡くします。「こんなはずじゃなかった」と後悔していた母の姿を忘れることができず、「死んでしまったら、何も挑戦すらできない」と思ったそうです。その後、パーキンソン病であるお父さんは、お母さんが亡くなってから1人暮らしとなり、鈴木さんが料理や身の回りの世話などをしていました。今は施設での生活になりましたが、鈴木さんのいままでの生活が様変わりし絶望的な気分だったそうです。そのような中でも、「ただ生きてさえいれば、やれることはたくさんある・・・」と希望を持とうとしたと言います。

「あまり、良くないのだけど…」と前置きすると、
「仕事で関わっている方と自分を重ねているところがあります。その人たちに対して自分がぞんざいな関わり方をすることは、同じようなことに悩んできた自分自身を踏みつぶすようなものだと思ってしまいます。自分も含めてですけど、社会の中でマイノリティと言われてしまう人たちといっしょに歩んでいけるように、作業療法士として、また、『鈴木洋介』という個人としてこれからも生きていきたい。そう思うんです」と話してくれました。

「これから、人それぞれが自分の強みを生かしていけるような居場所をつくっていきたい」と言う鈴木さん。さまざまなバックグラウンドを持つ人たちが自分の話をすることで、話を聞いていた人たちも熱を持ってひきこまれていってしまう、この不思議な「だらだら座談会」の幹事でもあります。
もうすでに、その種は蒔かれているみたいです。