とまどう、たのしさ。―カフェベーカリーぷかぷか(神奈川県横浜市)

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なんだろう、このパン屋は

「キリマンジャロ国立公園、タンザニア、タージマハル、インド、夕暮れのコロッセオ、イタリア…」。

扉を開けると、香ばしいパンの匂いといっしょに、朗々とした声が耳に飛び込んできた。びっくりして、見ると、レジの横に立って、脈絡のない言葉をつないでいる人がいる。なんなんだ、この人は。けれど、本人はどこ吹く風。客が入ってきたことを、気にするそぶりはなく、大きな声でゆっくりと、言葉を続ける。まるで詩を暗唱しているみたいだ。

店に響く声に、少し緊張しながら、パンを選ぶ。レジにトレイを置いた瞬間、「490円です」と、横から大きな声が飛んだ。レジの人は、「えー、そんなに安いかしら」とひとり言。しばし計算の後「あ、490円です!」。

こっちをまるで見ていなかったのに、いつのまにか暗算してたなんて。不意打ちに、笑ってしまった。

あざやかな暗算が、得意技

横浜市緑区霧が丘。大通りから1本入った団地の間に、隠れるようにカフェベーカリーぷかぷかはある。自慢のパンは素材を厳選、使用するのは国産小麦と天然酵母、そして水だけ。牛乳や卵、ショートニングは使わない。噛むほど小麦本来の味わいが増し、それでいて軽い食べ心地。クセもないから食べ飽きない。

手間も時間もかかる天然酵母を使うのも、繊細で水分量の調整が難しい国産小麦を使うのも、誰もが安心して食べられること、未来に資源をつなぐことの二つを大事にしているから。食パンなど定番のものから、毎月変わる季節の菓子パンまで、約40種が並ぶ。

「辻くんは暗算名人なんです」と、先程の声の主、辻克博さんを紹介してくれたのはこの店の店主、高崎明さん。辻さんはすべてのパンの値段が頭に入っていて、レジより早く計算してしまう。そのあざやかな暗算は、いまでは店のちょっとした「名物」だ。

それから辻さん、呼吸のようにしゃべり続ける。脈絡がないようだが、よく聞くと世界の国だったり、作曲家の名前だったり。一度やめさせたが、みるみるうちに元気がなくなったので解禁。レジの横に陣取り、しゃべり続ける独特の接客スタイルが生まれた。からだを大きく揺らしながら国名を繰り出す辻さんを見て、「今日はのってるね~」と、お客さん。もう、BGMのような辻さんの声は、店に欠かせない。休むと、心配する声があがる。

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「わたしがつくったクッキー、あります」

「こんにちは~」
「こんにちは」
「今日はクロックムッシュがあります。ホワイトソースが入っています」
「こんなのあった?新しいの?」
「はい、おいしいですよ」
「じゃ、買おうかしら」
「わたしがつくったクッキーもあります。がんばってつくりました」
「あら、じゃあこれも買わなくっちゃね」

毎週木曜日、瀬谷区役所で繰り広げられるのはこんな光景。波のようにお客さんが引いてはまたやってきて、昼休みが終わる13時まで、行列は途切れない。
麻野理英さんは、外販部隊きっての「おすすめ上手」(高崎さん)。ふんわりとした声が耳に心地いい。何気ない会話だが、「つい買っちゃうんですよ」と常連さん。たたみかけるように「わたしがつくりました」の殺し文句が加われば、気持ちよく、クッキーも買ってくれる。

ぷかぷかの販売風景を眺めていると、メンバーが醸し出すにぎやかな雰囲気に、お客さんの表情がほぐれている。「僕らだけじゃ、こんなに売れない。彼らがいるから、売れるんです」と、高崎さん。「木曜のお昼はここのパン、と決めてます」「みんなどうしてるかなと思って、店にも買いにいきました」。ひいきにするお客さんが増え、5年でここの売り上げは10倍になった。

よっぽど、いまを気持ちよく生きてる

店主の高崎さんは元特別支援学校の先生。30歳をすぎて教育を志し、たまたま特別支援学校に赴任。障害のある人と接するのは、はじめてだった。「おろおろするしかなかった」が、次第に彼らが持つ人間味に惹かれていった。「いつも裸になっちゃう子がいてね、恥ずかしいからパンツはけって言うんだけど、日を浴びて大の字で寝ている姿を見たら、どっちがいまを気持ちよく生きてるかって考えちゃってね」。
定年してもいっしょに生きていきたい、彼らの人生を支える仕事をつくりたい、と趣味のパンづくりが高じて2010年にぷかぷかをオープン。もっと地域との接点を増やしていきたいと、手づくりのおかずが並ぶお総菜屋や、カフェもつくった。2015五年2月には絵や手芸など、表現活動をするためのアートスペースも完成した。いまでは35人の障害者が働く場になった。

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とまどいを、たのしむ

ぷかぷかと、お客さんの関係は、どこかなつかしい匂いがする。11時の開店を待たず、入ってきたお客さんは、まだ棚にパンがなくたって、「食パン、あるー?」と奥をのぞき込む。「この前自分の骨壺を、知り合いの陶芸家につくってもらったの。ただ白いのって味気ないでしょ」と随分こみいった話しを報告する人がいて、ちょっと預かって、と犬を預ける人もいる。
お客さんは、店に入った途端、「とまどい」の中に放り出される。いきなり、誕生日はいつですか?と質問攻めにあったり、握手を求められたり。普段、障害者と付き合っていない人なら、どう対応したらいいか、わからなくて、逃げたくなるかもしれない。

けれど、もしそのお客さんがおいしいパンにつられて2度、3度通ってくれたら。そのうち、お客さんの肩の力が抜けていく。パンをきっかけに、彼らの存在を受け止める関係が、生まれていく。それは、どうやらお客さんにとっても、居心地のいいものらしい。
通えば通うほど、味わいが増すパン屋さん。さぁ、ぷかぷかへ、いらっしゃい。

カフェベーカリーぷかぷかホームページ

※この記事は2015年2月発行の『コトノネ』13号の記事を再編集しています。
写真:河野豊