片手ハンドルで、売上はトップクラス――ひまわり交通株式会社・国本正文さん(前編)

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くも膜下出血で倒れ、障害の残った国本正文さんは、一家の大黒柱として家族を養えない、もどかしい時間を過ごした後で、タクシー運転手という「天職」に出会った。障害のあるなしに関係なく、タクシー会社「ひまわり交通」のエースとして活躍する国本さんに、話を伺った。

片手でハンドルを握る

お母さんから、ベビーカーを右手で受け取ると、ヒョイっと片手で持ち上げた。そのままトランクへ。その間、ずーっとにこにこ、笑顔、笑顔。「子どもは大好きなんですよ」と言いながら、後部座席へ母子を案内する。確認して扉を閉めたら、さあ、出発。運転する姿を後ろから見ていてもわからないけれど、横から見ると、ハンドルを回すのに右手しか使っていないのがわかる。ハンドルにはノブのような器具がついていて、その器具を握ることで、片手でもスムーズにハンドルを回せる。運転自体は実になめらかで、片手で運転しているとは思えない。国本正文さんは54歳。タクシー運転手として働いて、もう九年になる。2006年に、二種免許を取得した。タクシー運転手になったのは、国本さんが障害者になってからのことだ。

熱中症からくも膜下出血を発症

「今でも鮮明に覚えています。2000年の8月20日のことでした」。当時国本さんは、昼間は電気工事、夜は高速道路のジョイント工事と、2つの仕事をかけもちしていた。睡眠時間は2時間ほど。そんな状態が10日ほど続いていた。「親父が経営していた電気工事会社をやめてから、2年間くらい、請負仕事だけで生計を立てていたんです。不安定な身分ですし、来た仕事は断れなかった」。ちょうどPHSの普及期で、仕事には事欠かなかったというが、5歳を筆頭に3人の子どもを抱えていた国本さん、仕事はいくらあってもよかった。「ある日、熱中症にかかってしまったんです。体がしびれてしまって。もう今日は夜の仕事の方は休む、と女房に伝えて、寝ようとしたんですけど、しびれが収まらない。何か話そうと思ったら、ろれつが回らない。これはまずい、と、すぐ救急車を呼んだ。わたしの記憶はそこまでなんです」。そのまま、救急車の中で国本さんは意識不明になった。

退院までは半年かかった

意識を取り戻したのは、1カ月後のこと。脳動脈奇形破裂による、くも膜下出血。熱中症で血液濃度が上がって、血液が詰まったことが原因だ。このまま意識が戻らず、寝たきりになってしまうかもしれないと、家族は告げられたそうだ。意識を取り戻すことができたのは、4カ月前に生まれたばかりの末娘と、国本さんが倒れる四年前に亡くなった弟のおかげかな、と言う。「娘を残して死ねないし、弟には『まだこっちに来るのは早いよ』って言われたような気がしてね」。

3カ月間、川崎市民病院に入院し、その後、厚木市の七沢温泉にある神奈川県総合リハビリテーションセンターに転院した。「ようやくしゃべれるようになったのは、リハビリテーションセンターでのこと。それまでは片言でした。意識は、はっきりしているんですよ。話を聞く分には、なんともない。でも、言葉を返そうと思うと、頭が混乱する。もどかしかったですね」。

左半身には麻痺が残った。「左手は動かないまま。なんとか杖をつきながら歩けるようにまではなりました」。

時給100円では、家族を養えない

退院してからは、地元の日本鋼管病院に毎日のように通ってリハビリに励んだ。担当医に、時間を持て余しているなら、と、近所の作業所を紹介された。訪ねると、送迎の運転手もやってくれないかと頼まれた。「工事の仕事で車はよく運転していましたし、周辺の道にも詳しかったですから」。日中は、主にビーズをつくったり、手漉きのはがきをつくったりといった作業をし、朝夕は、利用者の送迎バスの運転をした。「そりゃ、何もしないよりはいいですよ。でも時給一〇〇円だったんですよ。とてもじゃないけど、家族を食わせていくことはできない」。「恥ずかしい話ですけれど」と国本さんは、当時は生活保護を受けながら生活していたと話す。「わたしは働けなかったですし、女房は女房で、まだ小さい子どもがいて、外で働くわけにはいかない。迷惑をかけました。やりくりも苦労しただろうと思います」と振り返る。

就職説明会で見つけたタクシーの仕事

そんな日々を過ごしていたある日、国本さんに、就職合同説明会に参加しないかとの話が来た。「僕はパソコンもできないですから、どうしようかなと思ったんですが、運転手だったらなんとかできるんじゃないかな、と思って参加しました」。行ってみたら、たまたまタクシーの運転手を募集していた。採用が決まったのは、1カ月後のこと。「明日から採用するから」と言われ、そこから二種免許を取得することになった。「実技は楽にパスできたんですけど、学科には苦労しました」。言語障害が残っているため、読み書きがスムーズにできない。「4~5回落ちたかな。最後は暗記です。問題の種類って、だいたい決まっているじゃないですか。10種類ほど、暗記ですよ。たまたま丸暗記した部分が出てきたので受かりました。涙が出ましたね。これでやっと家族を食わしていける、って」。

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※「ひまわり交通」の記事は、2015年8月発売の『コトノネ』15号に掲載されています。

写真:信澤邦彦