店を支えるのは、自閉症のピザ職人―高橋剛さん

写真

レストランの味を8、9割決めている

横浜地下鉄の下飯田駅を降りると、ヨーロッパ調の建物が見えた。平日にもかかわらず、第二駐車場まで、ほぼ満車。扉を開けると、楽しそうな声が押し寄せてきた。

ファールニエンテは、社会福祉法人開く会の就労継続支援A型事業として運営されているレストラン。生パスタやピザ、焼きたてのパンを提供している。自閉症を持つ高橋剛さんは、2014年に開業したときから、ピザ職人として店を支え続けている。1日に少なくとも10枚、お客さんが多い日には、50枚ものピザを焼きあげる。

丸く形を整えた生地にトマトソースをたっぷりとのせて、モッツアレラチーズとバジルをちりばめる。高橋さんは、窯の脇にあった大きなパーラーを手に取った。先端にピザを乗せると、次の瞬間にはもう、窯の中に滑り込ませていた。じっと、中を見つめる。パーラーを動かす。また、見つめる。ちらりと視線を外すとすぐに戻し、一息で窯から取り出して、皿に着地させた。その間、わずか数十秒。こんがりと焦げ目のついた生地に、グツグツと煮えるチーズ。完璧な焼き具合だった。

写真

ピザは、400度という高温の窯に入れてから、30秒ほどで焼きあがる。1秒見逃すと、焼き上がりが変わってしまう。気温や湿度の違いで、その日の生地の状態を見極め、一定の焼き加減に仕上げることは、実はかなり難しい。スタッフは約10名だが、ピザを焼けるのは、支援員も合わせて4人しかいないという。高橋さんは、イタリアンの味の決め手となるトマトソースも、開業以来2年半仕込んでいる。ファールニエンテの味は、高橋さんが作っていると言ってもよいかもしれない。「風邪で1週間休んでしまったときは、困りました」と、所長の鈴木康介さんは言う。

「彼は目力がすごいんです」

高橋さんは、同法人の事業所「はたらき本舗」に18歳で入り、約20年間パンを作り続けてきた。「ファールニエンテの開業をきっかけに、ヘッドハンティングしてきたんですよ(笑)」(鈴木さん)。オープン前には、プロからレシピや手際を教わった。高橋さんは、言葉を通じたコミュニケーションは苦手だが、視覚から情報を取り入れることが得意だった。繊細な生地は、すぐに穴が開いてしまうし、窯に入れるときのスピードも調整しないと、きれいな丸型に焼き上げることができない。けれど、プロの動きを見て覚えることで、技術がついてきた。最初は焦がしていたが、1、2カ月ほどで、いつの間にか、失敗することなく1日を終えるようになっていた。

鈴木さんは言う。
「きっと、彼自身がプロの技みたいなものに魅了されるんですよね。すごいな、俺もああいう風になりたいなって思えるモデルが目の前にいる。そういうことが仕事の中ではすごく大事ですよね。プロの技に接するのと、支援員が口で10回言うのでは、全然違うんです。」

写真

2011年に、製パン製菓業界の最大級の専門展示会「モバックショウ」が幕張メッセで開催された。開く会と付き合いのあったパン製造機器のメーカーが、実演のため声をかけたのは、知りあいのパン職人たちと、高橋さんだった。スポットライトが当たる中で、プロと並んでパン作りをする、晴れの舞台。高橋さんは、試食用に切り分けると、ふらりと立ち寄ったお客さんが思わず受け取ってしまうほどの気迫で、パンを差し出すのだった。
「私たちが環境を整えて、機会を作れば、輝く人は出てくるんですよね」と、鈴木さん。

年齢と共に成熟していく

高橋さんが20代の頃、パニックになり、慌てて走って行ってしまうことがあった。40代になった今は、パニックになることは、ほぼない。「彼の中で、いろんなことが了解できるようになったのかもしれません」。と、話すのは高橋さんが働きだしたころを知る理事の萩原さん。「そういうところも、年齢と共に成熟していくんですよね。30代後半から40代で花開く人は結構いるんですよ。10代は思春期真っただ中で、18歳から10年くらいはモラトリアムと考えてもいいのではと思います。そのくらいのスパンで付き合っていた方が個人的にはいい印象がありますね。一人一人の成長をじっくりと見守り、能力を引き出すことができるのは、企業への就労とは違った、福祉の強みなのかもしれません」。

「障害者は、社会から支援されて、助けてもらうものだと思われている。けど、ここでは、障害者ができること、役に立てることをやっていけたらいいと思うんです。だから、「ホンモノ」であるプロに教えてもらわないといけない」。もしかすると、高橋さんは、自分が「ピザ職人」として頼りにされていることを感じとって、ファールニエンテに居場所を見つけたのかもしれない。

取材が終わったと知ると、高橋さんの目に力が入り、すぐさま立ち上がって、仕事へ戻ろうとした。

「本当に、仕事が好きなんですね」と声をかけると、
「好きでしょっ!」と、高橋さんは笑い、ピザ窯の前に立った。