資格が取れたら、正社員にしてください!――北海道健誠社・宮越崇行さん (後編)

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周囲に「無理じゃないのか」と言われた脳性まひの宮越崇行さん。それでも「なにくそ」の気持ちで、一人前のボイラー技士を目指した。そのがんばりは、熟練のボイラー技士をうならせ、難関と言われる一級技士の資格にも一発で合格。いま、独り立ちの技術者としての道を歩んでいる。

宮越さんには、ボイラーは無理なんじゃないか

宮越さんといっしょにボイラー棟で働く山田征二さんは、熟練のボイラー技士。旧国鉄時代は、機関士として、蒸気機関車に石炭をくべていたという。八年前、北海道健誠社にボイラー技士としてやってきた。3年前に瀧野社長から「宮越君を指導し、育ててくれないか」と言われたとき「正直、無理なんじゃないか」と思ったという。「最初に会ったとき、彼は手も足も不自由で、力も弱かった。ボイラーの仕事というのは、ある一定の時間内に、決まった量の仕事をこなしていかないといけない。ゆっくりでいい、ということはありません。そういう意味では、相当ハードなんです」。たとえば冬場、燃料となる木のチップを乾燥させるために、乾燥機を回す。すると、地下に木くずがこぼれる。こぼれた木くずは、上からバケツで引き上げなければならない。木くずは後から後からこぼれてくるから、休む間もなく、引き上げ続けなければいけない。体力がいる作業だ。「ここに来た当時、宮越君は相当よれよれになりながら、その作業をしていました」と山田さん。

それでも、引き受けたからには一人前にすることが自分の責任、と、山田さんは宮越さんを指導した。「鬼の指導でしたよ(笑)。相当キツいことも言った。手足が不自由だからと、手加減なんかしなかった。ほかの人から見たら、相当厳しかったでしょうね」。宮越さんは、そんな指導にも、めげることなく、食らいついていった。「辞めたいとは、思わなかったですね」と振り返る。なぜ、と聞くと「わたしは、褒められて伸びるタイプじゃないんです。たたかれて伸びるんですよね」と笑った。「なにくそ!」と思うことで、やる気が出てくるのだという。

次第に見えてきた、宮越さんのいいところ

山田さんにとっては不安だらけだった宮越さんとの仕事。しかし宮越さんのがんばりが、山田さんも次第に伝わっていき、不安は少しずつ消えていった。不安が消えたとき、宮越さんのいいところ、ボイラーの仕事に向いているところが見えてきた。「彼は、非常に真面目できっちりしている。ボイラーの仕事でいちばん大事なのは、やらなくてはいけない事を、しっかりやるということです。毎日のちょっとした手抜きが、1年先、2年先に、大きな違いとなって表れる。言われた事を、素直に、忠実にやってくれるところが、ボイラーの仕事に向いている、そんな風に思うようになりました」。

山田さんと話をしていると、ボイラーのそばで作業していた宮越さんがやってきた。何かボイラー周りで異変があったらしい。山田さんもいっしょに、確認しに行く。「木質バイオマスを炉に送り込むパイプから、変な音がするということなんです。おそらく長い木材が引っかかったんでしょう」と山田さん。「彼は耳がいいんです。誰も気づかない音をいち早く聞き取って、報告してくれる。ボイラー技士は眼だけでなく、耳も鼻も、五感を働かせてボイラーの様子を想像しなければいけない。その点でも、彼はボイラー技士に向いていると思います」。将来的には、宮越さん一人に、ここのボイラーを任せることができますか? と聞くと、山田さんは「ボイラー技士が一つのボイラーに慣れるまで、10年かかる。それほどボイラーは一つひとつに個性があるんです。宮越君も、このボイラーといっしょに10年働いたら、きっと一人で、このボイラーを見ることができるようになっていると思います」と太鼓判を押した。

一級ボイラー技士を取ってみないか

「宮越さんが、ボイラー技士一級の資格を取ろうと思ったのは、ボイラー担当として働きはじめて半年が過ぎたころ。瀧野社長とのこんなやり取りがきっかけだった。「ぼくが冗談で『2級を持っているんだったら、1級に挑戦してみないか』と言ったんです。そうしたら宮越君は、『1級を取ったら、社員にしてくれますか』って」。瀧野社長が「いいよ」と答え、宮越さんの挑戦がはじまった。

宮越さんは、それまではパートとして働いていた。当時、北海道健誠社で働く障害者は、すべてパートで、正社員として働いている人はいなかった。その意味では、瀧野社長にとっても挑戦だった。「宮越君が1級の資格を取ることができれば、将来的にはだれかといっしょにやらなくても、一人でボイラーを任せることができるようになる。だから、もし1級が取れたら、社員になってもらおう、と」。

難関試験に一発合格

しかし、ボイラー1級の資格を取得することは、並大抵ではないという。山田さんも国鉄時代に1級を取ったが「会社が機関士の教育課程を提供してくれて、それで取ることができたんです。一般から受験する人の中には、何回も落ちる人も珍しくない」という。倍率も高い難関資格だ。だが宮越さんは、なんと一発で合格した。「勉強は大変でした。勤務中も、昼休みなど合間を見て勉強していましたし、家に帰っても、夜の12時くらいまでは机に向かっていました。その生活が1年くらい続きました」。山田さんが「一生やる以上は、必要」と話す1級ボイラー技士の資格を取得した宮越さんは、一人前のボイラー技士としての一歩を踏み出した。同時に、瀧野社長との約束通り、北海道健誠社初の、正社員の障害者となった。

瀧野社長の奥様であり、北海道健誠社の副社長、NPO法人まことの理事長である瀧野京子さんは「その人に、どんな能力が秘められているのかは、誰にもわからない。潜在する能力を伸ばしてあげるのが、わたしたちの使命だと思っています。宮越君がボイラーの免許を持っているなら、それを生かすべきだと思ったんです」と話す。できるかどうかは、わからない。確信はない。でも、ダメだったら、元の仕事に戻ればいい。挑戦しなかったら、その人の持っている能力はわからない。だから、挑戦することを勧めた。その後ブルドーザーの免許も取り、ボイラーを操業するために必要な技能は一通り身につけた宮越さん。いまでは、宮越さんの給料は、ほかのボイラー技士とそん色ない水準にまで達しているという。 

宮越さんのがんばりは、同時に北海道健誠社にも、変化をもたらした。障害者も正社員になれる、という希望が生まれた。実際に宮越さんの後を追って、正社員になった障害者もいる。

障害者と健常者が共に働く場をつくり上げてきた北海道健誠社。宮越さんの努力によって見えてきたのは、北海道健誠社が障害者にとって、働き続けることができる場所だというだけでなく、自らの努力と周囲の協力によって、成長することのできる場所だ、ということだ。

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※「北海道健誠社」の記事は、2016年8月発売の『コトノネ』19号に掲載されています。

写真:岸本剛