資格が取れたら、正社員にしてください!――北海道健誠社・宮越崇行さん(前編)

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周囲に「無理じゃないのか」と言われた脳性まひの宮越崇行さん。それでも「なにくそ」の気持ちで、一人前のボイラー技士を目指した。そのがんばりは、熟練のボイラー技士をうならせ、難関と言われる一級技士の資格にも一発で合格。いま、独り立ちの技術者としての道を歩んでいる。

「戦う経営者」は、障害者雇用でも戦う

北海道・旭川地域を中心に、全道でリネンクリーニング業を展開する「北海道健誠社」。本社に働く約270名の従業員のうち約4割が障害者。また関連するNPO「NPO法人まこと」にも就労継続支援B型事業所として、およそ30名の障害者が働いている。

北海道健誠社は設立当初から、「障害者との共生」を理念に掲げ、障害者の雇用を積極的に行っている。瀧野喜市社長が53歳で設立した当初は数名だった障害者の雇用数も年々増やし、いまの人数にまで広げた。

北海道健誠社が「バイオマス事業」に取り組むようになったのは、2008年のこと。洗濯や乾燥などで常に大量の燃料を必要とするクリーニング工場。それまで使っていた石油から、木質バイオマスへの転換を決めた。廃材や間伐材をチップにして、それを燃料として活用する木質バイオマスは循環型のエネルギーであり、二酸化炭素の排出を抑えるなど環境負荷を低減する。また、運用の仕方によってはコスト削減の効果もある。

その木質バイオマスのボイラーを動かしている技士の一人が障害者だった。

ボイラーも、ブルドーザーも動かせる

クリーニング工場の隣にあるボイラー棟を訪ねると、ブルドーザーで大量のチップを一カ所に寄せ集める作業が行われていた。ブルドーザーを操作しているのが、そのボイラー技士の障害者・宮越崇行さんだと聞いて、びっくり。ボイラーだけでなく、こんな大きなブルドーザーも動かすとは。運転席から降りてきた宮越さんは、精悍な顔つき、身体つきで、いかにも「現場の人」という風情。聞くと小児まひで、生まれつき手足の動きや発語に障害があるという。確かに歩く姿を見ていると、障害があるということはわかるが、ブルドーザーを動かし、重い資材が載った台車を押し、また汗をかきながら燃えさかる炉の様子を見つめる姿は、まさに「職人」。まぎれもなくボイラー技士だ。

宮越さんは、ブルドーザーの運転技術を生かし、大雪の日には、駐車場の雪かきをする。「早番の日だと、始業時間の2時間くらい前、午前3時くらいから、雪かきをするんです」。誰に言われたわけでもない。誰にも言わず、だから、しばらくは、誰にも知られることがなかった。

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高校を卒業してからは、引きこもっていた

宮越さん、もともとはクリーニング作業の部門で働いていた。入社したのは2010年、高校を卒業してからそれまで10年以上、半ば引きこもりのような状態になっていたのだという。何度か就職活動もしたが、うまくいかなかった。そんな苦しい時期を支えてくれた父親が他界したとき「このままではいけない」と思いたち「NPO法人まこと」に入った。当初は「まこと」の利用者として、しばらく経ってからは北海道健誠社のパート社員として、タオルたたみなど、クリーニングの作業に従事していた。

「ボイラー技士をやってみないか」と誘ったのは、瀧野社長だ。宮越さんが高校のときにボイラー技士2級の資格を取っていたことを知ったからだ。「わたしは現場主義で、いつもみんなといっしょに、タオルたたみなどの作業をしながら、話を聞いたりしています。そこでそれぞれの人の得意なことや向いていることを見つけるんです。話を聞いていて、いまの仕事が向いていないな、と思ったら、別の部署に移ってもらったりもします。そうやって彼らの得意・不得意や、やりたいことを見つけることが、わたしたちの役割だと思っています」。瀧野社長の勧めに、宮越さんも、高校生のとき「いつかはボイラー技士に」との思いから資格を取得したこともあり、挑戦を決意した。

※「北海道健誠社」の記事は、2016年8月発売の『コトノネ』19号に掲載されています。

写真:岸本剛