この人たちが、これから歩いていく道を整備しなければ――「多摩草むらの会」(後編)

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「多摩草むらの会」の事業を、一言でまとめるのは難しい。幾つもの事業所があり、そのそれぞれがまったく異なる事業をしていて、そのどれもが高い収益をあげ、あるいは地域で必要とされている。しかし、代表の風間美代子さんに話をきくと、「草むらの会」が、ただ利益や規模の拡大を目指しているのではないことがわかる。

作業所ではなく、居場所をつくる

統合失調症を患った長男を支えるために、グループホームをつくった風間さん、グループホームで活動するうちに、風間さんは、彼らがもう一度社会に出たがっている、ということに気づく。「じゃあ、彼らがいろんな人と接することで、感性を取り戻すことができると同時に、彼らをいろんな人に見てもらうことによって、精神障害にまつわる偏見を取り除くことができる場所をつくろう」と思った。

そうしてつくったのが「寒天茶房 遊夢」だった。「遊夢」は作業所ではなかった。作業所をつくろうとはまったく思わなかった、と風間さんは言う。「精神障害者は、生まれ育った地域、地元ではなくて、少し離れた土地で、気持ちが開放されていく」という思いがあった。多摩市だけでなく、広く多摩地域全体から人を集めたかった。自立支援法施行前、行政区分の制限を受ける作業所の枠組みでは、風間さんの思いは実現できない。

彼らに食べてもらいたいものを

「寒天」にも風間さんの思いが込められている。「事前にいろいろ調べたのですが、どこの障害者施設もクッキーとパン。同じことはやりたくなかった」。さらにクッキーもパンも、カロリーが高い。一生薬を飲み続けなければならない精神障害者は、肝臓を痛めたり、薬の副作用によって太ってしまう人も多い。彼らの身体にいいもの、彼らに食べてもらいたいものを、一般の人にも提供したかった。「寒天なら低カロリーでミネラルが多い。しかも呑み込みやすいので、嚥下能力の低下してきた人にもいい」。

奇しくも「遊夢」オープンの1年後、寒天ブームが到来。身体にやさしいメニューと相まって、「遊夢」には多くの人が訪れ、広く知られるようになった。「アド街ック天国」など、テレビ番組にも紹介されるほどになった。「障害者が働いている、とかは関係なく、ただ美味しい寒天屋さんがある、ということで紹介していただいたんです」。

商店街が休みでもお金をかけずに集客

「遊夢」は、店舗改築費と、当初3年間の光熱費については多摩市から助成を受けたものの、それ以外は普通の飲食店と変わらず、事業収益のみの運営だった。それで当時、メンバーには時給400円を支払っていたという。「待ちの商売はダメだと思ったんで、外販部隊を作って、ケータリングをやりましたね」。知り合った医者や都の職員のつてをたどって、学会の立食パーティーなどを引き受けた。車に食材はもちろん、花瓶も花も積んで、設営から何から全て引き受けた。もちろん、地元企業への訪問販売もやった。

ユニークなのは、講演会だ。日曜日は「遊夢」のある商店街が休みで、お客さんは誰も来ない。そこで、あんみつ付き500円の講演会をやって人を呼んだ。「宣伝費をかけなくても新聞が取り上げてくれる方法はないかと考えたら、講演会がある、と」。大学の教授や医師などに講師を頼んだ。そうやっていろんな人を巻き込みながら、収益を上げていった。

自立支援法も後押しになった。もともと行政の支援は受けずに、店の収益だけで運営していたが、自立支援法が施行されてからは、行政区分をまたぐ形で利用者を集めている「遊夢」にも、助成金がでるようになった。「遊夢」で培った経営感覚がベースになり、さらに自立支援法の追い風も受け、多摩草むらの会は、多摩地域に次々と事業所を開いていった。

命を絶った彼にも、できたはずの仕事を

風間さんが次の事業として取り組もうとしているのが、セラミックによる水耕栽培だ。風間さんは、2014年5月に自ら命を絶った、ある利用者の思いに応えたいと、この事業に強い意欲を見せる。

「彼の障害では、ウエイターやウエイトレスは難しかったんです。でも生活保護を脱却したいと相談に来てくれて」。なんとか仕事を、と、遊夢で働いてもらった。「三か月間は、本当に一生懸命やっていたんです。新聞の取材にも、制服を着て、笑顔で対応してくれて」ところがしばらくして、「僕はもう、死ぬか、仕事を辞めるかどっちかです」と突然言われた。誰も気付かなかった、という。そんなにつらかったのなら、と休息入院をした。退院のとき、うれしそうに「もう死にたくなくなりました。もう大丈夫です」と言った。「ところが翌日、彼は信頼できるお友達にだけ、本音を話していたんです」。もう死ぬことだけを考えている。僕は仕事は無理だし、生活保護からの脱却も無理だ、と。

その話を聞いてすぐ、風間さんは彼に電話をしたが、もう、電話はつながらなかった。その翌日、自室で、自ら命を断っていた彼が見つかった。

彼のためにも、彼にもできる仕事を。接客ではなく、ハウスの中での水耕栽培なら、彼にもできたはずだ。接客の必要がないA型事業所をつくりたい。セラミックの水耕栽培は、設備費をかけずにできる。ログハウスを建てて、その中に栽培施設をつくる。周りを水族館のようなギャラリーにして、育てている野菜を見てもらう。できた野菜は、完全無農薬。洗わなくていい。

「障害者が歩む道を整備したい」との思いから、いくつもの事業所を作ってきた風間さん、ひとりの障害者への思いから、いままた、新しい事業を立ち上げようとしている。

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※「多摩草むらの会」の記事は、2014年8月発売の『コトノネ』11号に掲載されています。

写真:岸本剛