ぼくが福祉にハマった瞬間―大原裕介さん(前編)

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札幌から車で1時間ほど。北海道当別町にある「ゆうゆう」は、その取り組みが全国から注目される社会福祉法人。理事長の大原裕介さんは、弱冠25歳で組織を立ち上げた。「地域を創る」を理念に事業を展開。立ち上げ当初4人だったスタッフは、12年経ったいま、100人を超える大所帯になった。

そんな「福祉一直線」に思える大原さんだが、意外にもたまたま受かったから大学の福祉学部に入ったという経歴の持ち主。福祉に興味が持てず、授業にもいま一つ身が入らない。学校になじめずにいた。そんな大原さんの転機となったのは、大学3年生のときに行った実習だった。

意味がわからないけど、なんかおもしろい

実習先の母子生活支援施設で、大原さんが出会ったのは、ある親子。本来ならDV被害などを受けた女性が一時的に避難する施設だったが、親子はそこに10年暮らしていた。母親はすすきのの地下トイレで、へその緒がついた状態で赤ちゃんといるのを発見され、救急車で運ばれて、そこに落ち着いていた。
「いま思うと、お母さんには知的障害があって、子どもは自閉症がありました。10年間その子を学校にも行かせないどころか、ちょっとでも目の届かないところに行くと、錯乱してしまうような状態だったんです」。

大原さんにとって、障害のある人と毎日顔を突き合わすのは、これがはじめて。子どもは会うなり、大原さんを叩いたり、突き飛ばして来た。当然大原さんはとまどう。けれど、嫌な感じはしなかった。「意味がわからないけど、なんかおもしろくなってきて。単純に何を考えているのか、知りたくなったんです」。それから1カ月間土日も休まず、その親子と向き合い続けた。

実習が終わる2日前、大原さんは、母親に呼び止められた。「ちょっと郵便局に行きたいから、うちの子、預かってくれない?」。
びっくりした。一時も離れない、離れられない親子なのに。いっしょに行きましょうかと尋ねると、いい、大原くんに預けたいと言う。「その瞬間、なんでか知らないですけど、涙が出て来て」。

母親が出かけると、大原さんは我に返った。生まれてからずっと離れたことがないのだから、母親がいなくなったら、この子はパニックを起こして大暴れするんじゃないか。
しかし少年は予想とは反して、ニコニコしながら手を引っ張り、大原さんをグラウンドに連れて行った。そして2人で、母親が帰ってくるまでキャッチボールをしたのだと言う。これが大原さんが「福祉にハマった」瞬間だった。

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15キロを、毎週たすきリレー

それから、恩師との出会いもあり、大原さんは福祉の道を志すようになる。町の中で「いちばん困っている人」を聞き取り調査し、浮かび上がってきたのが、障害児を持つ母親だったことから、まだ学生だったにも関わらず、レスパイトサービスをスタート。経験も知識もない学生に、障害のある子どもを預ける親はおらず、最初の1年の利用者はたった1人。それでも、続けるうちに少しずつ信頼を得て、利用者は1人、また1人と増えていった。

「いまでも思い出深いのは、札幌の入所施設に入っていて、土日だけ実家のある当別に帰省していた方。もともとその人が、そこを選んだのはパラリンピックのマラソンを指導している先生がいたから。とにかく走っていないと、発散できない人だったんです。それなのに、その先生が異動していなくなっちゃって。土日に帰ってくると、ストレスがたまっているから、もう家の中はめちゃくちゃ。お父さんもどなるわ、弟は押入れの中に入っているわで、もう戦争ですよ。だからと言って、親御さんは走るのに付き合う体力なんてないし。

それで何を考えたかって言うと、ひたすら走った。(笑)4人でたすきをつないで、毎週土曜日15キロ走ったんです。ぼくは先輩だったから、後輩が走っている横をチャリでいっしょに走って『がんばれ~』って。(笑)
でもそれで、みるみるうちに、変わっていくんですよ。本人も家族も。しばらくして、ごはんを食べに来ないって言われて、恐る恐る行ったら、ちゃんとゆっくり、みんなでごはんを食べられたんです。あぁ、俺らが走ることって、意味あるなって」。

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「10年待ってくれ」

エピソードをあげればきりがないが、とにかく大原さんたちはそんな風に、1人ひとりの「困った」に向き合い続けた。そして、障害児サービスから、働く場、暮らしの場と必要とされる事業を展開していった。そして2013年にはグループホームを整備。大原さんにとって、グループホームは念願だった。

「ゆうゆうをつくるときに、お母さん方に10年待ってくれって約束したんです」。親亡き後も安心して当別に住み続けられるような施設を、10年かけてつくるから。まったく根拠はなかったが、ちょうど10年後に実現することができた。「グループホームは、いちばん難しいです。組織の基盤が問われるし、ケア力を問われます」。
10年かけて当別町は、「当別の障害者は幸せね」とほかの地域の保護者から、言われるまでの町になった。

※『コトノネ』19号の特集で、社会福祉法人ゆうゆうの取り組みをご紹介しています。

写真:渋谷文廣