障害者が芋を掘る姿を見て、一緒に働けると思った――有限会社「岡山県農商」と、板橋完樹さん(前編)

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2015年11月、早朝、岡山県岡山市。空港から車で20分ほどの山の中。何のへんてつもない、広い畑。そこにだんだんと人が集まってくる。車でやってくる人もいる、歩いてくる人もいる。マイクロバスに乗ってやってくる大勢の人もいる。70人ほどの障害者が働く有限会社岡山県農商が主催する「芋掘り会」。岡山県農商で働く障害者はもちろん、周辺の福祉施設の障害者や職員、近隣住民などさまざまな立場の人が参加する大きな催しだ。午前10時に芋掘りが始まるころには、200人ほどの人が集まっていた。ひときわ大きな歓声を上げながら芋掘りを楽しんでいるのは、子どもたち。岡山県農商の障害者は、静かにその様子を見守り、掘り出した芋を運ぶ手伝いをしたりしている。芋掘り自体はわずか30分ほどで終了するが、その後は大きな鉄板で作られる焼きそばと大鍋の豚汁、それにもちろん、今掘ったばかりの芋をドラム缶を改造したコンロで焼いた焼き芋がふるまわれる。みんなの笑顔を静かに見つめているのが、岡山県農商会長・板橋完樹さんだ。

農業をはじめるなら、組織的にやりたい

板橋さんが農業をはじめたのは、1989年のこと。それまでは県内で喫茶店を営んでいた。「今もそうですが、当時も農業のなり手は少なかった。<花形>の商売ではなかった。そこがよかったんです」。出身は九州。奥様の実家は岡山県で細々と農業をやっていたが、すべて一からの新規就農だった。「農業をはじめるならば、組織的にやりたい」と、板橋さんはそのころから考えていた。「家族的な農業ではなく、やるならば、人を雇って組織として農業をやりたい、と考えていました」。そのために必要なのは、年間を通じて安定した収益を上げること、つまり一年中収穫ができる作物づくりだ。「この辺の名産であるネギは、通年での収穫が見込める野菜でしたので、当初からネギを主な作物にしようと考えていました」。今では珍しくなった2サイクルの軽トラックに、わずか500平米の農地。これが岡山県農商の、はじまりだった。

農業の経験がほとんどなかった板橋さん、当時40歳になろうとしていた。作物の作り方や農地の相談をしようと、岡山県やJAにも相談に行った。農業を通じて雇用を創りたいとプレゼンテーションをしたが、反応はいま一つだったという。「農業の経験がないならば、県が持っている施設があるから、そこで2~3年勉強してからやったらどうですか、と言われまして。私はその時に40歳の手前でしたから、そんなには待てない。それなら、自分でやろう、と思いまして、見よう見まねではじめました」。

はじめての農業、寝る間も惜しんで試行錯誤

はじめは板橋さんと奥様の2人で、しばらくしてからは地元の高齢者にも手伝ってもらいながらの試行錯誤が続いた。「そりゃ大変ですよ、農業をやったことのない人間がやるわけですから。あれをしたからよかった、これが失敗だったということも、今になれば分析できるかもしれませんが、そんなことよりも、とにかく、寝る間がなかった」と当時を振り返る。がむしゃらにやって数年がたち、次第に作ったネギが評価されるようになった。「この肥料をやったからいいものができる、というものでもありません。入れる時期とか、量とか、いろんな条件で変わってきます。水にしてもそう。マニュアルなんかないですから、毎日が試行錯誤で。でもその一生懸命さがネギに伝わってきたのか、いいネギができはじめ、それが周囲の評価につながっていったんだと思います」。板橋さんのネギづくりは、軌道に乗りはじめた。

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岡山県農商会長・板橋完樹さん

障害者があいさつにきて、一緒に「芋掘り」を

板橋さんが「芋掘り会」を始めたのは、1997年のこと。近くの福祉施設「旭川荘」の職員が、板橋さんのところにあいさつに来たことがきっかけだった「障害者と一緒にあいさつにきて、私の家の近所に住むことになりました、と」。その時にいろいろ話をして、なにか手伝えることはないですか、と、板橋さんのほうから持ちかけた。「なにかやろうか、といっても、私たちにできることは農業だけですので、じゃ、芋掘りでもやりましょうか、いいですね、となって」。それまで板橋さんのところでは、芋を作っていなかったが、芋掘り会のために、芋を植え、秋に旭川荘の障害者と一緒に芋掘りをしたのがはじまりだった。最初の参加者は、20~30人だった。地域の障害者のために、とはじめた芋掘り会だったが、板橋さんにとっても大きな転機となった。

「芋掘りの作業をする障害者の姿を見ていて、この人たちとだったら、一緒に仕事はできるな、と感じたんです」。何もできないのではないかと思っていたが、教えればきちんと作業ができる。何よりまじめで、しかも楽しそうに作業をしている。「組織的な農業をやりたい」という板橋さんの思いに、実は障害者が応えてくれるのではないか。芋掘り会が終わったすぐ後に、板橋さんは、一人の障害者を雇用した。旭川荘からの紹介だ。「別の場所で働いていたんですけど、人間関係に悩んでやめた人です。仕事の能力は、決して高い方ではなかったけれど、性格がよかった。はじめて一緒に働く障害者となったこの人は、今も働いている。

※2016年5月発行の『コトノネ』18号に掲載された記事を再編集しています。

写真:河野豊