障害があっても、畑に出たら関係ない――「千葉農産」の稼げる農福連携(後編)

写真(中山ゆみ子さん)
7年前から障害者を雇用し、房総半島で「稼げる農業」を展開する「千葉農産」。福祉部の白石賢三と一緒に、ここで働く人たちは、それぞれがさまざまな障害を抱えながらも、立派な「戦力」として、千葉農産を支えている。

「わたし、いちおう、女ですし」

福祉部で働く中山ゆみ子さん。もう7年になるという。収穫作業の手伝いに入ったら、そのままスカウトされた。「わたし、いちおう、女ですし、視力に障害があって、片目が見えなんです。さらに足を骨折して、金属が入っているんです。足の動きが悪いですし、雨降ったときなんかは、ぬかるみに足がはまると、抜けなくなっちゃう。ですから、あまり重機を使った作業などはできないんですけれど、定植とか収穫ならできるんです。ここでは、できる範囲内でがんばって仕事しています」。そう言いながら、石山さん、この日はトラクターの運転をしていた。千葉農産に入ってから覚えたのだという。

「あ、ぼく、難聴やったんや」

写真(中島博史さん)

石山さんと同じく7年目になる中島博史さんは、障害者手帳は持っていないが、難聴なのだという。「自分でも気づいていなかったんですが、生まれてすぐの高熱が原因じゃないか、ということなんですけど、ちょっとよくわからないんです。前職は普通の会社だったんですけれど、どうもコミュニケーションがうまくいかなくて。聞き忘れというか、聞き漏れが多かったようなんです。あるときたまたまその会社を訪れた聾学校の先生に指摘されて『あ、ぼく、難聴やったんや』って気づきました。それで詳しく調べてみたら、子どもの頃、作文や漢字が苦手で、友達とうまく遊べなかった。そんなもんだ、と思っていたんですが、それは難聴の子の特徴だったんです」。その時点で30歳過ぎ。そこから自分に合った仕事を探して、神戸在住だったが、たまたま訪れた千葉で、千葉農産と出会った。農業の経験はなかったが、いまでは、白石さんとともにほかの障害者を取りまとめる役割を担っている。

写真(小林孝さん)

「ちゃんと育つかわからない。逆にそれがいい」

旋盤工として数十年のキャリアを積み重ねてきた小林孝さんは、36歳にして統合失調症を発症。退職を余儀なくされた。「もう発症して10年近く立ちます。理解ある職場で、何度か復職もさせてもらったんですけど、3回目の入院のときに、あれだけ好きだった旋盤の仕事を辞めたくなっちゃって」。ミクロン単位の精度と、厳しい納期を求められる旋盤の仕事に比べて、農業のおおらかさが好きだという。「きちんと植えたって、ちゃんと育つかわからない。逆にそれがいいのかもしれません。白石さんは調子悪いときは休んでいいよって言ってくれるんですけど、この仕事になってから、そんなに調子が悪くなったことがないんです」。農業には未来があるのがいい、と言う。「なにかできるんじゃないか、って自分でも思っているんです。先のことを考えて仕事していると、楽しい」。

障害があっても、それぞれができることを持ち寄って、足りないところを補い合えば、健常者と変わらない、場合によってはそれ以上の効率やクオリティで作業ができる。そのことが、千葉農産の売上と、高い賃金を支えている。

※11月17日発売『コトノネ』20号の特集で、「千葉農産」をご紹介しています。

写真:山本尚明